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「いつかあなたを描く。ワレモコウの爪:ヒスイの2000字チャレンジ⑬」

 暗赤色の吾亦紅われもこうは、枯れ始めた秋の平原にすっくと立っている。
 群れもせず、一本ずつがくっきりとした色で青い空に突き刺さっている。
 秋の始まりを高々と歌う。


「翠、課題だしたか?」
 彼に聞かれて、私はのろのろを首を横にふった。
「おまえ、先週も出してないだろ」
 目をそらす。先週どころじゃない。そのまえも出せなかった。
 描けないからだ。絵の専門学校に通っていた時のこと。

 気づいたら、手が動かなくなっていた。
 どの角度で線をかくのか、塗るべき場所、薄めるべき色合い、なにもかもが突然見うしなわれた。
 それまでは息をするように描けていたのに。

「なんだよ、どうしたんだ」
 彼はそう言って、私の顔をのぞきこんだ。ちょっと高い彼の鼻先にデッサン用のステッドラーの鉛筆粉がついていた。
「翠?」
 そういわれた瞬間、私は恋に落ちていた。
 恋に落ちる必要はなかった。なのに転がるように恋をしていた。
 描けない理由はわからない。恋をしていれば、描かないことが猶予される気がしていた。
 
 彼は背の高い男で、150センチ足らずの私は彼の肩までしかなかった。
『頭のてっぺんに、キスするとき便利だ』
 彼は笑ってそういった。
 いいひとだった。しかし、絵は超絶的にへたくそだった。

「イラストレーターになろうと思うんだ。この学校には現役のイラストレーターの先生が多いだろ。間近に見るのが勉強になると思うんだ」
 そう言って、彼はよく先生たちと話していた。
 しかし話す内容は絵とは関係なく、そして現役の女性イラストレーターは案外たやすく彼の手に落ちたようだ。
 ちょっとおバカで明るく、屈託のない若い男。彼にはそういう要素があったし、上手に生かす方法もよく知っていた。
 校内には彼が途中まで手を出して宙ぶらりんにした女性たちがたくさんいた。
 彼女たちは年上で、みんな私を嫌った。

 金を稼ぐ苦労も社会で戦う責任もない学生は攻撃しやすかった。私は居場所を失いはじめていた。
 ひきこもる。どこにも行かない。
 なのに絵は、一枚も描けなかった。
 
 時間になると、彼が料理を私の目の前に差し出す。
「翠、めしできたよ」
 料理がうまい男だった。小鳥に餌付けするように食事が作られ、彼はいつも私の部屋にいた。
 それが当たり前になった頃。彼はまわりにこう言いはじめた。
『翠さ、いま描けないんだ。だいじょうぶ、俺がついてるし。描ける奴だからそのうちに復活するよ。俺がついてるし』
 
 放っておいた。彼のうわごとより、描けないことのほうが深刻だった。
 早朝に起き、寝ている彼の横で白い紙をにらむ。そのまま1時間。彼が目覚めて朝食を作り、学校へ行く。
 私は学校へ行けない。

 その日、私は久しぶりに外へ出た。
 都心の細長い公園の横にあるビル。1階が画材屋で、2階と3階が専門学校。
 ドアを開けると画材のにおいがした。
 2階の事務所へ入りかけて、足を止めた。見慣れた背中があった。
 彼は先生のひとりと話しているようだった。
「どうするのか、翠に確認しますよ。大丈夫です、俺がつきそってますし」
「永井君は、カノジョ思いね」
「カノジョじゃないですよ。あっちは俺がいないとダメみたいだから付き添っているけど、俺には恋愛感情ないし。創作仲間ですよ。
俺が一緒にいれば、また描けるでしょ。
それより先生、次のグループ展に俺も作品を出したいんで……」
 私は持っていたかばんをぶん投げた。重いかばんはヤツの後頭部にクリーンヒットした。
「なにしやがる……翠。なんだよ」

 彼の顔は真赤だった。ぶちのめされたショック、目の前の先生に対する虚勢、嘘を聞かれた困惑。
 私は事務室のカウンターによじ登って叫んだ。
「”よりそってますし”? 俺がついていれば大丈夫? 何いってんのよ。
描けないって、そんなことじゃないだろ!
お前は、他人が横にいれば描けるのかよ!? 違うだろ!
あたしは描けないよ。 
一人になって、自分の中から見たくもないものを引きずり出す。その覚悟がなきゃ、絵なんか描けないよ!」

 狭い事務所の中で、私の息だけが上がっていた。
 胃が、あるべき場所へ下がっていく。声帯が、両肩が、汗が下がっていく。
 私はカウンターから飛び降り、カバンを拾ってから彼に手を突き出した。
「カギ、返して」
「翠。誤解だよ、説明を」
「もう来ないで――これから描くから」

 カギをぶんどり、私は事務所を出た。一階の画材屋を抜けるとき視界に暗赤色が飛び込んできた。
 静物画に使うためのドライフラワー。吾亦紅の暗赤色がとーんと、私の体に入ってきた。
 秋のすがすがしい淋しさとともに。
 私は吾亦紅を買うと、そのまま部屋に戻って描きはじめた。
 2日間、ただ描いた。
 私の手は。
 自由に動いた。行先を確実に知っている渡り鳥のように、寸分の狂いもなく、動いた。

 それ以来。
 私の手は動き続けている。
 そして私の爪は、吾亦紅の暗赤色に染めてある。
 いつかあなたを描く日のために。

 準備はもう。
 整っている。


ーーーーー了ーーーーー2040字 Goran HorvatによるPixabayからの画像

ええとですね。
これは、フィクションです(笑)
似たような場所、似たような人がいても。
気のせいです(笑)


ほんとうはこれ、「花とエッセイ」のコンテストに出したかったのですが。
今回は正確な意味での”エッセイ”ではないため、見送ります (>_<)
締め切りは10/15だから、また来週チャレンジします。
皆さんもよろしければ参加しましょう!

すでに、みおねえさんが、心温まるエッセイを公開していらっしゃいます。

これね、めっちゃいいですよ! みなさま、お読みになってー!!

……はあ。
最近のヒスイ、恥をさらしすぎですよね(笑)??
来週はもっと。心あたたまれるれれる…なれない言葉を使おうとしたら、舌が回りませんでした(笑)

ではまたっ!
小粋でポップな恋愛小説家、ヒスイでした。ちゃおっ💛


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