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『金色の秘密~僕と彼女と、彼女の妹。』第3話

 燿(ひかる)・薫(かおる)とは、空港へ向かう駅で待ち合わせた。
「亮太!」

 元気に手を振っているのは、燿だ。笑顔がキラキラしている。隣に立つ薫の静かさと対照的だ。
 ふたりの様子はすっかり元に戻っていた。それどころか、元の色合いがより濃くなり、金と銀のオーラでまぶしいほどだ。

 僕たちは電車に乗った。薫は大きなトランクを持っていた。

「イギリスって、どれくらい行くんだ?」
「1年の予定。学生ビザがとれたから」
「いいな。留学か」
「ええ。もともと母方の伯母がロンドンにいて、一緒に暮らさないかって言われていたの」
「へえ……燿は行かないのか?」

「あたしは日本に残って、あいつらの見張りをする」

 燿はきっぱりと言った。となりで薫もうなずく。

「……あいつらって、あの叔父さんと叔母さんか?」

「そうよ。今ごろ大あわてしているでしょ。税務調査が入って、たいへんな相続税を請求されているはずだから」
「相続税? あのスマホの仮想通貨か」

 びっくりしてそう言うと、こんどは、薫が男みたいにニヤリと笑った。

「ええ。父の遺した仮想通貨は四億円分あった。叔父たちは全額を『単純相続』したから税金が高額になっているはずでしょう」
 薫の柔らかい声から、法律用語が鋭く飛び出した。僕はもう唖然とする。
「たんじゅんそうぞく?」
「財産相続には三種類があって、ひとつめは『単純相続』。財産も負債も無条件、無制限に相続すること」

ぴょこん、と薫は白い指を一本、立ててみせた。続けて、

「けれども故人に大きな借金がある場合は、『限定承認』といって、相続財産の範囲内で負債も相続することができるの。
もし相続財産より借金が大きければマイナスになるから、この場合は『相続放棄』したほうがいい計算ね」

「……そんな方法が」

 ここで薫はゆっくりと二本目の指を立てた。

「ただし『限定承認』をするなら、相続の事実を知ってから三か月以内に、家庭裁判所に『相続放棄申述書』を提出する必要がある。未提出の場合は、自動的に『単純相続』になる。
亮太に同席してもらった『遺産分割協議』から、三カ月が経過しているでしょう。
叔父たちは欲に目がくらんで何の手続きをしていないから、仮想通貨も負債も税金も全部、相続したことになる」
「だ、だけど四億円も相続したなら、税金なんて払えるだろ」
「払えないの。あの仮想通貨は現金化できないから」
「えっ!?」

 僕の驚く顔を見て、燿と薫は笑った。

「スマホのロックは簡単にはずれるし、仮想通貨が四億円分あるってことはすぐに確認できる。
でもね、仮想通貨を現金化するために必要不可欠な『PINコードとリカバリーフレーズ』を書いた重要な書類、紙がないのよ。
仮想通貨では、その紙を『ペーパーウォレット』っていうんだけど。
それはもうぜったいに、見つからないのね」
「えっ、じゃあ四億円は――」
「仮想通貨としては存在するけれど、キーワードが分からないから、現金化できない。でも相続は成立しちゃってる。
あいつらは、税金を払うしかないわね」

 僕はあっけにとられた。

 燿はサラっと、『ペーパーウォレットが、ないのよね』と言ったが、ないわけがない。
 たぶん、あったんだろう。
 いや、絶対にあったんだ。スマホと一緒に保管されていたはずだ。
 それから、どこかへ消えた。
 消されたんだ、燿か薫の手で――。

 僕は喉の奥から、声を絞り出した。

「四億円……叔父さんたちへの嫌がらせのために捨てたのか?」
「嫌がらせじゃないわ。復讐よ」

 燿はうっすらと涙を浮かべながら言った。

「あいつら、パパが亡くなってからずっとあたしたちの生活費さえ、かすめ取ってた。あたしたち、食べるものが買えない時だってあったのよ。
食費のために、パパが買ってくれた純金と純プラチナのネックレスも売ったわ。あいつらにバレないように、金メッキと銀のネックレスに買い替えたけど。
くやしかった。目の前で、あいつらがどんどんパパの財産を食いつぶしているのに、子供だから何も言えない。何もできない。

ずっと、我慢してた。

けどね、嫌になったのよ、もう。
弱いから、子供だから、女だからって一生がまんしつづけるの?

子供でも大人でも、自分がやろうと決めたら、なんだってできるのよ。やれるんだわ。

あの仮想通貨が見つかった時、あたしと薫は決めたの。
もう二度と、あいつらの好きなようにさせないって。自分たちで道を作っていこうって」

「それに、四億円は叔父たちに、取られるわけじゃないしね」
「えっ、でもペーパーウォレットはないし、もしキーワードを覚えていたとしても、燿も薫も相続を放棄しただろ? 手に入らないよ」

「——薫は放棄したけど、あたしはしてないの」

 
 僕は穴が開くまで燿の顔を見た。

「なんでだよ? 書類にサインしたぞ」
「うん。『誕生日の前日』、十二日の木曜日にね。書類にはその日付が入っている。
相続の放棄は、成人にしかできないことなの。
木曜日の時点で、あたしはまだ十七歳の未成年。だからサインした相続放棄書類は有効じゃないのよ。

その気になれば、棚橋さんを経由して、いつでも相続権を主張できる」

「……いつ、こんなことを思いついたんだ」
「ごめんね、亮太。いろんなことを隠してて。
薫とふたりで、必死で考えたの。
そこから棚橋さんと相談をはじめて……ああいう難しい話は、あたしじゃよくわかんないから、薫が全部やってくれた。
だから、あたしは時々薫のふりをして学校へ行って、出席日数を確保しながら、報告を聞いていたのよ」

「それで……あの時期、君たちの見分けがつかなかったのか……」

 僕は思わずうめいた。

 何もかもが、金色の裏地がついた雲の向こうにあったのだ。




 電車が空港の駅に止まる。
 僕たちは空港の中をゆっくりと進んだ。
 子供みたいなのに、もう子供じゃない十八歳の三人がゆっくりと歩いていく。

 薫が途中で立ち止まった。

「ここでいいわ。なんだか、泣きそうだから」
「うん」

 ふたりはかたく抱きしめあった。金と銀のオーラがまぶしいほどに輝いた。
 それから薫は僕に手を差し出した。そっと握る。

「体に気を付けて、薫」

「亮太もね。いろいろ巻きこんでしまって、ごめんなさい。
でも――」

 すっと、薫は僕の耳にささやいた。

「亮太は燿が好きだから。助けてくれるって信じていたの――私の姉を、よろしくね」
「ば……ば……バカ言うなよ」

 耳まで赤くなりながら僕がうろたえる。燿があやしそうに、にらんだ。
「ちょっと、何やっているのよ、ふたりで」
「亮太に、些細な頼みごとをしたのよ。じゃあ、行くわね」

 ニコッと笑って薫は歩いていった。
 その後ろを、燿がいつまでも見つめていた。


 飛行機が飛び立ち、知らない人が行き交う空港で、僕はゆっくりと燿の手を握る。
 燿が握り返してくる。
 それだけでいい、と思った。

 僕は、何も言わない、何も聞かない。ただ見ているだけ。
 だけど絶対に、口外しない。
 口のない壺のごとく、じっと黙っておく。それが僕の選んだ答えだ。


 これは、僕と彼女と彼女の妹、三人だけの金色の秘密だから。
 僕たちは、誰にも言わない。

【了】


参考資料
法務省民事局参事官室 パンフレット
https://www.city.fukutsu.lg.jp/material/files/group/28/pamphlet.pdf)

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