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『金色の秘密~僕と彼女と、彼女の妹。』第2話

 14日の土曜日、11時。
 僕は燿に言われたように、くすんだ喫茶店にやって来た。
 ボックス席には猛烈な香水の匂いをさせた女性と赤ら顔の男、弁護士の棚橋さんが座っていた。
 女性はじろりと僕を見て、

「なんでこんな子供を呼ぶのよ」
「亮太さんは十八歳ですから、子供じゃなくて成人ですね。燿さんと薫さんが、第三者の立会いを希望しておられまして」
「第三者の立会人? いらんいらん。あんたがいたら十分だろうが」

 口をはさんだ男も不服そうだ。僕は黙ってにらみつけてやった。
 三年前、こいつが何も言えない燿をげんこつで小突き回していたのを、僕は覚えている。

 やがて喫茶店のドアが開き、燿と薫が入ってきた。
 ふたりとも制服姿で、よく似ている。でも、三年前のあの日みたいに表情を失って見分けがつかない、なんてことはない。
 燿はこれから陸上部の練習でハードルを飛ぶみたいに体じゅうのバネを絞り上げているみたいだし、反対に薫は物静かにじっと、大人たちを見ている。
 燿は燿として、薫は薫として、凛として立っていた。
 そして二人は何も言わずに僕の横に座り、棚橋さんが話しはじめた。

「ええと、先日ご連絡しましたように、亡き森山氏が仮想通貨を所有していたとみられる関係書類および仮想通貨の取引に使用していたらしいスマホが見つかりました。総額は不明ですが、森山燿さん、薫さんは相続を放棄することを希望されています」
「放棄って、あれよね、相続しないってことね?」

 女性はすごい勢いで体を乗り出した。。香水が、強すぎる。
 棚橋さんはうなずいて、

「はい。森山燿さん、薫さんの両人ともが、この仮想通貨に関する相続権を放棄するということです。ですから故人の兄妹であるお二人が法定相続人となります。単純相続ということで、財産および負債を無条件かつ無制限に、すべて相続してほしいというのが燿さんたちの希望です」
「いただくわ、もちろん――かわいい姪たちの希望ですもの」

 ぐわっを熱風が吹き込むように、また香水が匂った。
 男はじろりと燿と薫を見ただけだ。

「うさんくさいな、なんだか」
「兄さん、何を言っているのよ。二人の希望なのよ、いただかなきゃ、かえって悪いわよ。ねえ棚橋さん、いくらになるの、遺産は?」
「仮想通貨ですから市場と連動していまして、評価額は流動的なんです。現状、スマホにロックがかかっていますので、まずロックを外すところから始めないと」
「まあ、ロック? そんなの、すぐに外れるんでしょう?」
「やってみないとわかりませんね……専門家に頼むと費用が掛かりますが?」
「それはまあ、遺産を相続するから払えるでしょ。安い専門家に頼んでちょうだいね」
「では――」

 棚橋さんは薫の前に書類をだした。
「ここで、薫さんに相続放棄の書類に署名していただきます。燿さんのぶんは、すでにいただいています。
お二人にも単純相続をするという書面にサインをお願いします」

 さらさらと三人が署名する音が重なった。薫のサインが一番遅かった。
 ほんとうは、サインしたくないんじゃないか? と僕は思った。
 薫はおとなしいタイプで、基本的には燿に引きずられているところがある。今も燿に言われるがままに、よくわからず署名をしているんじゃないか……。といっても僕にできることは、こうやって見ている意外に、何もないけれど。

 薫の署名も終わり、棚橋さんは燿の名前の入った書類と合わせて、四枚を、僕を含めた全員に見せた。

「燿さんにはすでに署名をいただいていますので、これが全部です。よろしいですか?」
「はい」
 燿と薫はうなずいた。
 香水の女性はちらっと見ただけで終了。男はじろじろと書類を眺めた末に、ぽいと棚橋さんに返した。
 棚橋さんは丁寧に書類をそろえ、クリアケースに収めてかばんにしまった。

「では、これで正式な手続きに入らせていただきます。本日はありがとうございました」
「早くロックをはずして、遺産の金額を教えてちょうだいね」

 女性はそう言うと行ってしまった。男は燿たちをにらみつけ、

「これで縁が切れた、なんて思うなよ。俺たちは親代わりなんだからな」

 すると、今までおとなしくしていた薫が言い返した。

「貴方たちは私たちの親でも、保護者でもありません。長年ずっと、父の遺した信託資金を流用していたでしょう。それで必要経費は払ったと、私も燿も考えています。
私も燿も十八歳の誕生日を迎えました。法律上は、成人です。以後は、保護者も親権者も不要になります。
――あんたたちとは、これきりだわ。二度と顔を見たくない。声も聴きたくない。帰ってちょうだい」

 男はムウッと顔をしかめて、椅子を蹴飛ばすようにして出ていった。

「……びっくりした。薫、話し方が燿に似て来たね」

 そう言うと、薫はちょっと笑って見せた。その笑い方が、また燿に似ている。
 これじゃあ、僕が見分けられなかったわけだ。
 茫然としていると、棚橋さんが立ち上がり、

「それでは、燿さん、薫さん――三か月後にまた、ご連絡を差し上げます」
 ふたりは、コクリとうなずいた。

「三か月後って、なんだよ?」
「あと三か月で、卒業ってことよ」

 燿がけろりとしてそう言う。
 ちがう。きっと違う。何か、隠されたことがある。
 わかっていたけど、僕は何も言わなかった。

 何も言えずにただ見ているのと、何も言わずに見ているのでは、天と地ほどの差があるってことが、僕はやっとわかった。

 今は――黙っているべきだ。ただ目の前で起きたことをしっかりと覚えておこうと思った。
 医家の三原則。
『1.ここで見たことは、即座に忘れること
 2.何があっても口外しないこと
 3.くわしく聞こうとしないこと』

 そして僕は今、みずから望んで黙っていることを選んだのだ。


   ・・・・・

 春が来た。
 僕は医学部の合格通知を受け取り、未来が始まるまでの中途半端な時間を過ごしていた。
 その日、燿からメッセージが来た。

『あさって、薫がイギリスに発ちます。空港までいっしょに見送りに行く?』
『行くよ』

 短い返事を送って、考え込んだ。
 今度こそ、くわしく説明してもらおうか。
 僕を遺産協議に巻き込んだ理由や、あのころ急に二人の見分けがつかなくなった理由。
 そして弁護士の棚橋さんが言った『三か月後』の意味を。

(第三話につづく)


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