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愛が持つ力を

「西廣さんが水上さんのこと、『全然分かってない』って言ってたよ」
一回り年上の先輩からこう告げられた瞬間、私の中で何かが壊れる音がした。
もう頑張れない。
次の日から、私は会社に行けなくなった。

『死にたがりの君に贈る物語』(以降、『たが君』)を読んだとき、二年ほど前の記憶が思い起こされた。自分の経験とミマサカ先生の辛さを重ねるなんて烏滸がましい気もするが。

「九十九人が褒めてくれたって、たった一人の批難が頭から離れない。」というミマサカリオリの気持ちは手に取るように分かる。どんなに自分の味方でいてくれる人がいても、たった一人の否定は味方の声を掻き消し、頭の中で無限にこだまする。今でこそ復職しているが、ただの一般人の私でさえ、その先輩の一言に心を蝕まれ、簡単には癒えない傷を負ったのだから。増して、自分が心血を注いで生み出した作品、自分が愛する作品に心無い言葉の矢を雨のように浴びせられたとしたら。どれだけたくさんのファンがいてくれたとしても、気に病まない方が難しいのではないか。

「小説は作者だけのものではなかったんだろうか?」
この一言にミマサカリオリの苦悩が詰まっているようで、息苦しさを覚えた。
自分のことを、自分の愛するものを傷つける権利なんて、誰にもないはずなのに。それでも、ひとたび傷つくと、延々と自分に問うてしまう。私は何のために生きているのだろう? 私の存在価値って?
ミマサカリオリの心を殺したのは批難の声を浴びせる読者でもあり、自分にも他人にも痛みを広げたくないミマサカリオリ自身でもあるのだろう。敢えて何も感じないようにした方が楽なときだってあるからだ。

一度心を殺してしまえば、自分で蘇らせることは難しい。でも、死んでしまった心を動かすのもまた、愛を叫ぶ声なのだ。純恋の「あなたの小説を最後まで読んでから死なせてよ!」という心の底からの叫びは私の感情を激しく揺さぶる。大袈裟ではなく『Swallowtail Waltz』という作品に生かされた純恋の愛。「ほとんど呪いだ」とミマサカリオリが表現した、純真な愛。そんな愛をファンレターで、そして面と向かって叫んで伝えたからこそ、ミマサカリオリは息を吹き返したのだ。
もちろん『Swallowtail Waltz』を愛しているのは純恋だけではない。共同生活を送ったメンバーも物語を愛し、ミマサカリオリが物語を完結させることを信じていた。愛があるから炎上もしたのだと、拳で殴りつけるような激しさすらも孕んだ純恋の叫びが、ミマサカリオリに気づきを与え、彼女を突き動かした。ミマサカリオリが純恋を生かし、純恋もまたミマサカリオリを生かす。「心を温かくする」なんて生優しいものじゃない。激しくて痛いくらいの愛に触れ、私もまた涙を拭うことを忘れていた。

愛には人を生かす力がある。
『たが君』はそう信じさせてくれる物語だ。
だから、私も愛を声にして伝えていきたい。どん底の暗闇にいた私に光を投げかけてくれた沢山の方々に。誰かを救うことなんてできないかもしれない。けれど、それを伝えられないまま不完全燃焼で命を絶やすのは嫌だ。
そんな決意を胸に、noteを開いた。

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