「神」—人間の域の及ばない何かを描く ~アクションペインティング田嶋奈保子さん~

画像1

田嶋奈保子(たじまなほこ)、成真妃呂子(せいしんひろこ)、神透(しんす)。葛飾北斎が、頻繁に改号していったように、時期によりアーティスト名を変えるアクションペインティングの画家がいる。本名は、田嶋奈保子。2008年から活動を始め、「燃えゆる家」シリーズなどで個展を開催してきた人だ。

家の炎を描いてきたアーティスト

田嶋奈保子時代は、「燃えゆる家」シリーズのように、DV、介護、育児放棄といった自身の家族を題材に、描いてきた。斎藤誠「炎の画家!田嶋奈保子 ― DV、介護、育児放棄...「家族の崩壊」を描いた作品の恐るべき強度」(2015年11月1日 https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201511_post_7691/)に詳しい。


田嶋さんは、活動を始めたその当初の時代から、ロングヘアペインティング、フェイスペインティングという技法により、自身の長髪を絵の具に浸し、顔に絵の具を塗りたくり、それらにより大判の紙に描いていく、アクションペインティングのパフォーマンスを繰り広げてきた。そのインパクトから、テレビ出演も多い。

画像2

ロングヘアペインティング「燃えゆる家」

成真妃呂子時代は、ミュージシャンとのコラボを行いながら、それまでの「家」の表現から、精神の抽象的表現を行う作風に変化しているようにみえる。

私が彼女と初めて遭遇したのは、2019年5月に北千住で開催された、心理療法家・舞踊評論家の原田広美さんのワークショップにおいてだ。その時は、「成真妃呂子」を名乗っていた。ワークショップでは、参加者各自が幼少期の無意識的体験を捉え返し、コンプレックスを解放することで、円滑な芸術表現につなげていく、という主旨のもと、幼少期の家族画を描くというワークがあった。

成真さんは、私の隣にいた。クレヨンでA4の紙にあっという間に、記憶では黄色や黒が印象強く、筆遣いの鮮やかなその家族画を描き上げていた。それを目撃したのが、私が初めてみた彼女のアクションペインティングだ。

画像3

インタヴュー~「田嶋奈保子」の現在~

そして、「神透」を名乗るのは、2020年からだ。2020年の年末より何度か、アーティストとしての夢、野心。現代美術との出会い、などについて、インタヴューを行った。その名前にいう「神」とはどういうことか。それも含め、紹介していきたい。

————まずお聞きしたいのは、奈保子さんのアーティストとしての夢、野心についてです。世界を意識したうえでの表現をする、独自性、ということをお考えだと思いますが、ご自身の心意気を表現していただけますか。

アーティストとしての野望としては、作品を後世に残したいという事と、死ぬまで作品を作り続けたいという事、そしていわば有名になりたいという事です。

私の心理学的にいう、幼少期のトラウマの為か、無意識に有名な人に対する対抗心が生まれてきくる部分を持っています。 

ただ、複雑な心理なので自分でもどう処理をしたらいいのかわかりませんが、それと同時に、有名になる事への虚無も感じますので、そうなる必要はないとも、一方では思っていますが。

いい作品を作り続けることの大切さや、作り続ける事の大切さも考えています。美術に限らず、国内外の著名人に対する対抗心を持つとともに、参考にしようとする思いもあります。経済的に大きな影響力を持つ事で、世界の構造に変化を起こしたいとも思いますし、誰が、何が世界を動かしているんだろうかと気になります。

それと同時に、自分は神に仕える者だとも思いますので、太古で言うところの、美術の系統でいうならば、洞窟で絵を描く事で神事を行っていた祭祀、祈祷師であるのかなと思ったりもします。

何教という訳ではなく、自分の真理の中で考えている最高神と向かい合う事で、常に自分を更新して乗り越える仕組みを意識的に作り出しています。が、同時に宇宙の真理自体が神であり、故に神―人間の域の及ばない何か―は存在すると思いますので、それに対する祈りを常に持っています。

大勢に対する知名度への渇望と同時に、人の心への虚しさもあります。また芸術とは何なのかについて歴史を学んで、自分で納得しながら学問として、「神」と向かいあうことで、作品を作っていくことが大切なのではないかとも思っています。

画像4

————ありがとうございます。対抗心という意味では、チェロを弾いている私も、著名なチェリストに対してであっても、批判的な見方が先立ち、賞賛はなかなかできない気持ちを持つことがあります。とくに自分が練習した曲ほど、有名チェリストの演奏について、いろいろ考えてしまうというのがあります。
有名になることへの虚しさは、どういうお気持ちによるものですか。私の感覚では、高名なチェリストの演奏でも必ずしも完全なところに到達できていない点で、有名でも足元が不安定に感じたりします。
現代美術に携わるきっかけ、それとの出会い。また、ご自身にとって表現方法が、他のジャンルの表現ではなくアクションペインティングである理由も伺えますか。

いい作品(自分の内から出てくる何か)を作り続けたいと言うのが私の本当にやりたい作品作りでありますが、美術制度の中に入る事を目的とした人間関係の構築や媚、営業、また有名になる事は、大衆の欲望の真ん中に入ることであり、自身の中身が空っぽな空虚に満たされることではないかと思います。

現代美術に関わったきっかけは、私の恩師である美術家の彦坂尚嘉さんと出会ったことです。美大4年生の夏に友人から誘われて、新潟の大地の芸術祭のコヘビ隊という、美術家作品のお手伝いで参加した時に、会議で彦坂さんと会い、作品を手伝う事になりました。大自然の中で、彼と農家の人達と数日間過ごして彼の人間性や美術の話しを聞いた事がその後の私の美術、人間性に大きく関わる事になりました。

アクションペインティングは彼のアドバイスが最初で始まった事です。
美術に対して無知だった私にとって、勉強家でもあり、豊かで温かい人間性、やっていることがコンセプチュアルで面白い、複雑な見方をする彼の人間性は私に大きな影響を与えました。

そして、ロングヘアペインティング、フェイスペインティングのアクションペインティングは、その後自分の中で表現をする中で、私に非常に合っている表現方法であるとも感じるようになっています。

自分の中で初めから考えに考え抜いてこれをやろうと決めたわけではなく、人生の中で出会った出来事の中で自然に変化して展開してきていると感じます。それこそが私の本性である美術家としての、無意識の動きとして出来た作品でもあると思いますし、美大の頃から、ガラス作品と一緒に、パフォーマンスをし、衣装を作って演出していたことを思えばその延長線上であるとも思います。

画像5

————密にお答えいただき、ありがとうございます。バッハもこの世の真理を音でなぞろうとした言われます。奈保子さんのおっしゃる神、真理はやはり言葉で表せないもので、言葉で表せないものを表現するために美術をされている、とお考えしてよろしいですか。
また、有名であることへの空虚感は別として、ご自身の表現が共感をもって世界の大勢の人に受け入れられるのは、夢としてお持ちだと思います。その様に自分の表現が届くための方法は、どうお考えですか。ならびに活動の障壁、と聞いたとき、浮かぶものは何ですか。

そうですね。私は、言葉で表現することより、身体やその他の方法で表現することの方を好んでいます。「神」を据えているのは、常に高く精神を保つため、また、最高の存在を自分の外に置く事で常に自分の中の謙虚さと、越境の精神を保つため、さらに、神(真理や完全なもの、something great)に向かって作る事がより高いものに向かって作品が作れることになるため。またそれは他の人にとってもいい作品となるのではないかと思うからです。

表現が届くための方法はあまり意識していませんが、一生懸命にやる事、また私の場合は表現するまでに自分の中でその必然性や動機を調べたり、日常の中で探したり、神を意識したりして過ごします。

その中で、発表の瞬間に無になることで、神事というか、無意識と有意識が混ざって超現実が起きる瞬間に、観ている人に立ち会ってもらえる場を作るというか、でも、その時には、意識の中で神経を鋭敏にすることに集中するとか、そういう事には気を使っています。

活動の障壁としては、私にとって環境は大切ですので、場所や時間を確保する事が大切です。その中で上手く美術の時間や空間が作れていないと、制作や気持ちが入りこめないので、それを時に障壁と感じる事があります。ただ、大きな流れの中でそれを乗り越えるよう、日々色んな考えや行動をとるよう意識してます。

画像6

————興味深い思想的なお話などありがとうございます。表現者の願いであり、その上で感じる障壁、なのですが、いままで私がインタヴューした表現者の方たちが述べた願いには、アメリカのように、芸術がもっと観光資源として扱われてほしい、地域の人が芸術家を支援してもらえるようになるといい、芸術家にカケをする空気が広まってほしい、というものがあります。
また以前お話を伺ったホール経営者の方は、アーティストはもっと自分をプレゼンし、お客さんと双方向的にやり取りし、要望はホールや行政などに伝え、その中で活動を進められるはずだ、とおっしゃっています。
アーティストが活動する上で、社会にあったらと思うシステム、あるとよい社会の空気のようなものについて何かありましたらお願いします。漠然としたものでも構いません。
後世に残るものをという思いは表現者に大事なものと感じます。作曲家の方も、自分が歴史に位置づけられたいという野心は述べられています。
位置づけられるには、作品の表現の独自性を追求することが重要で、奈保子さんの作品も、今年(2020年)タイムラインで載せられているものを拝見しても、ある種の絶対的なものを感じさせられます。
そこで、最近の作品について、神への意識以外のことについても、制作時にお考えのことを、語っていただけますでしょうか。

アメリカに行って感じるのは、showに行く文化が様々な世代にあり、多くの人が足を運んで、即興演奏のような演奏でも、観たことのないものでも、反応があり受け入れられる空気があることです。

日本では名の知れたものでないと、若い人などで、showに行く人が少ない。そこには大多数への迎合があるように感じられ、それは残念でありますが。

それは文化の違いとしか言いようのないことかもしれません。日本でも、ドネーションや異文化融合が自然な事だと受け入れる事ができるようになるのか、遠い将来、開かれた日本が来るのか。それはわかりません。

作品について考えていることは、神以外では、今の時代はなんなのだろうというのを、言葉で考えたり、著名人の言葉などで感じたりしてます。それに、世界の構造(経済や大きな動きなど)や最新の理論や考えは何だろうとアンテナをはらしたりもします。宇宙の新しいニュースや粒子、未来についても考えたりします。

画像7

————アメリカの話も興味深いです。最近載せられていた絵をはじめ、奈保子さんの絵には、脳裏というより眼前というか、目のレンズに焼き付くようなものを感じます。印象深いものが記憶に残る時、ぼやっとモノクロ写真的に脳裏に残るというのもあるかもしれませんが、そうではなく意識が醒まされるかたちで目の前に残る表現があるということだと思います。あと彦坂さんの言葉で、印象に残っている、ご自身に影響あると思うものを、教えていただけますか。

ありがとうございます。作品を作り続けることの喜びと励ましを感じます。
彦坂さんの言葉で、今でも何か判断する時に使っている言葉はいくつかあります。彼は言語判断を使って物事を認識しますので、その言葉は、何か自分の目の前に物事が来た時に理解を助けます。
例えば、それが"ちゃんとしている"はよく判断するときに使います。ものに呼びかけるとこだましてくる反射を読み取るものです。これは非常に役立ちます。自他の作品やものを判断する上でも。

————即興というものの、普通に絵を描くことや音楽を作曲するのと異なる独自性、個性はどのようなものかと聞かれたら、どういう風に説明しますか。

即興は、フレッシュな感じや、今何を感じて、考えているのかがダイレクトに出る手法だと考えます。

また、よりその人の身体性や行動性など、変えようのないもの、個性が出やすい手法であると思います。

通信で例えるなら、電話線から光ファイバーのような高速通信に近い手法なのではないかなと思います。私の美術の友人等も、今撮ったもの、感じたものをそのまま上げる、スピードが早いことを重視する人もいます。

それはそれ自体が現代の特徴であると感じているからではないかと思います。

画像8

一見、物腰柔らかい方なのだが。その長い髪をバケツの絵の具に浸し、顔にチューブの絵の具を塗りたくって描いていく。ロングヘアペインティングやフェイスペインティングだけでなく、「立体彫刻」を意図したパフォーマンスなども行っている。常に世界を意識し、無意識と有意識の混合の瞬間を作り出し、固唾を飲んで見させられてしまうそのパフォーマンスの今後の展開に、注目したい。

フェイスペインティング「燃えゆる家」

◇田嶋奈保子HP
https://nahonaho0403.wixsite.com/tajimanahoko

インタヴュー 2020年12月~2021年2月 オンラインにて
聴き手・北條立記(作曲家、チェロ奏者、ライター)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?