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ヴァイキングの弓 -1

北の海を越えるゲルマン一派

「ヴァイキング時代」と呼ばれる9-11世紀の事。
ヴァイキングは主にスカンジナビアやアイスランドなど、北欧に定住したゲルマン人の一派を指します。
彼らは船を巧みに操りバルト海周辺から東ローマまで、またはイギリスやアイルランドさらにはフランス、果てはアメリカ大陸まで進出し、略奪、交易、入植などをしていました。

彼らは略奪行為を繰り返したことから、キリスト教側から異教徒の野蛮人的イメージを植え付けられ、現代でも一般的には蛮族的印象を持たれていますが、様々な文化や技術を柔軟に取り入れて貿易や農耕も積極的に行っていた人々でもありました。

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(海外TVドラマ「ヴァイキングス」のワンシーン)

しかしやはり彼らの戦士としてのイメージはなんと言っても魅力的です。
大きな丸い盾を構え、長い斧や幅広の剣で武装した彼らの姿はとても印象的ですが、弓矢のイメージはこれと言って無い気がします。
確かに弓矢を使ってはいたのですが、実際にはどの様な弓を使っていたのでしょうか?


数少ない「ヴァイキングの弓」

完全な形で発見されているヴァイキング時代の弓は非常に少ないです。
しかし発掘されている数の少なさは必ずしも「弓の使用があまりなかった」事を示している訳ではありません。

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(スウェーデンのウプサラにあるルーンストーンに刻まれた長弓を構える人)

彼らは間違いなく日常的に弓矢を使用して狩猟など行っていました。
農家の敷地からはたくさんの矢じりが出土する事から、日常的な道具として一般家庭にあった事がうかがえます。
これをあるサイトでは「ヴァイキングにとっては戦場のライフルというより農場のショットガン」と表現していました。

弓矢を戦いにおいても積極的に使用していた事は、サガやエッダと呼ばれる古い北欧の詩や物語でも明らかです。
おそらく弓矢は日常的に誰にでも使用されており、戦いに参加する者はある程度の弓のスキルを持っている者か、逆に少しでも弓のスキルの高い者は何らかの集団戦闘に参加した事でしょう。

ヴァイキングの戦いといえば盾の壁を築いてその隙間から剣を突き出す、ローマ軍団を模倣した戦法が真っ先に思いつきます。
映画やTVドラマではその他にも野蛮人の様に突撃と肉弾戦を繰り広げますが、果たしてそれだけでしょうか?


発掘された完全なヴァイキングの弓

のちのイングランドの長弓部隊の様に、組織的に編成された弓の部隊は無かったとする見方が一般的で、そうであれば弓にある程度の地域差が出たり、人によってそれぞれ異なる弓を持っていた可能性があります。

しかし実際に発掘された弓にはかなりの共通点がありました。
さらに、それが幅広い地域で分布していることから、ヴァイキング達は大まかにある種類の弓を好んで戦いで使用していた事がうかがえます。

「ヴァイキングの戦場弓」とカテゴリーしておそらく間違いないのは、ロングボウでした。

デンマークのヘーゼビューで発見されたヴァイキング時代の弓は、全長75インチ ( 約190cm) 、弦を張った長さは70インチ、素材はイチイの単一木から出来ています。

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(ヘーゼビューの弓)

オランダのワッセナーで発掘された9-10世紀の弓は、長さ約74~75インチ (約190cm) 、同じくイチイの木です。

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(ワッセナーの弓)

北アイルランドにあったヴァイキングの拠点、バリンデリーで発掘された10世紀の弓も同じくイチイの木で、片側の先端が5センチ欠けていますが、元の寸法はおよそ75インチ約 (190cm) 、弦を張った長さはおよそ67インチと推測されている様です。

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(バリンデリーの弓)


百年戦争で有名を馳せたあのロングボウと同じだった?

広範囲での同様の発掘品から、ヴァイキングたちはおよそ全長185~190cmで、両端が射出方向に向かって曲がっており、特徴的なD型の断面に削られたイチイやニレ、ブナ等の木の「ロングボウ」を主に使用していたと考えられます。
現代基準となる28インチ弦を引いた際の弓の重さ (強さ/張力/弓力) が、大体80~100ポンドの弓を共通して使用していた可能性があり、これらの特徴はのちの「イングリッシュ ロングボウ」とほぼ同じものでした。

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(ヴァイキングに射殺されるイーストアングリアの王エドマンド)

80~100ポンドの弓は、イングリッシュ ロングボウの中でもハンティングボウ (狩猟弓) ではなくウォーボウ (戦争の弓) と呼ばれるものでした。

普通の弓矢が現代のライフル射撃とすれば、ウォーボウとウォーボウアロウは野戦砲や艦砲射撃の様なもので、ロングボウマンはいわば砲兵隊でした。

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(百年戦争イングランドのロングボウマン)

14-15世紀イングランドの、ウォーボウで武装した数千名のアーチャーは、全員長い年月をかけて訓練を積んできた名射手たちです。
手練れの戦士で恐れられたヴァイキングといえども、片手間で習得できるものとは思えません。

さらにヴァイキングの使っていた矢じりの中には「ボドキン」と呼ばれるものが含まれていました。
これはメイル (鎖帷子) で装甲した相手を貫通させるための徹甲弾で、狩猟や非装甲の相手に対して使用するものではなく戦場で使用する目的の矢じりでした。

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(右から三番目はヴァイキング時代のタング式ニードルボドキン)

また、戦いの詩や物語では、戦の際に大量の矢や火矢の一斉射撃が行われ、海上戦でも多くの矢や火矢が長距離で発射されていた事が記されています。

11世紀初めノルウェーを統治したオラフ2世の物語では戦いの様子が詳細に描かれており、頻繁に弓矢が使用され、弓兵の存在も確認できます。

笛矢は戦いの合図を鳴らし、彼らの戦場の掛け声と、剣と盾が鳴る。
立て!勇敢な男たち、立て!臆病な心は危険が近づくと勇気付く
立て!勇敢な男たち、立て! オラフを称えよ!
心と手にフィールドは勝利する。
我々はひとつのヴァイキングの掛け声を、言葉の代わりに死と引き換えの剣で云う!

鋼のクランク、弦のトング
戦いの音が大声で鳴り響き、
そして、弓兵は急いで前進した

最前列が剣を持って切り倒し、次の列は槍で付き、最後列に立った者は全員、矢を放ち、槍を投げ、石、手斧、または鋭い棒を投げた。

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(13世紀に編纂されたノルウェー王のサガ集「ヘイムスクリングラ」)

これらの事からヴァイキングは戦場においてウォーボウを扱える射手を複数擁し、かなり強力な戦闘用の弓矢で武装していた事がうかがえます。


ヴァイキングの軍事駐屯地で使用された「騎馬民族の弓」

ヴァイキングたちは戦場で主にロングボウを使用していたのではないかと考えられますが、木で出来たものはおそらく千年の間にほとんどが土の中で朽ちたか、千年前におそらく最終的に薪になってしまったので、真実を知る事は出来ません。

しかし、かつてヴァイキングの交易都市だったスウェーデンのビルカでは単一木から作られるロングボウとは異なる、朽ちにくい素材の弓が発掘されています。

それは東方で使用される騎馬民族のコンポジット ボウ (複合弓) のパーツでした。

発掘されたのはビルカの中でも武器や鎖帷子など軍事物が集中的に見つかった「ビルカの駐屯地」と呼ばれる区域です。

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(ユーラシアステップ帯の騎馬民族が使用していた複合弓)


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(ノヴゴロドで見つかった1200年代初頭の複合弓)

ユーラシアステップ帯では、騎馬民族たちによって木に角 (ホーン) や動物の腱 (シニュー) などを接着した、複合素材の「リカーヴ ボウ (反対側に反った弓) 」が古くから使用されてきました。
サガの中でヴァイキングの敵が使うとされる「Hornbogi」はホーンボウ、つまりこの複合弓だと考えられています。

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(ウイグルの辺りから中央アジアの平原を横切ってウクライナの辺りまで続くユーラシアステップ地帯)

複合弓はしばしばサムリングと呼ばれる指輪を使用し、親指を使って弦を引く方法で用いられました。
このサムリングと思われる遺物や東方の矢じりもビルカの駐屯地から発掘されています。

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(ストックホルム大学のチームにより研究された「ビルカ駐屯地」にある詰所)

ビルカ駐屯地の詰所と考えられている場所から見つかっているのは、複合弓に使われたパーツとサムリングだけではありませんでした。
ストックホルム大学の研究によれば、この駐屯地からはステップ騎馬民族の影響を強く受けた、東ヨーロッパ〜アジアの地域で貴族戦士が身につけていた矢筒や弓入れ、ベルト、ポーチ、カフタン (東洋のコート) 、さらにはラメラ アーマー (鱗鎧) なども見つかっている様です。

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(ビルカで発掘されたマジャール様式のポーチ)

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(ハンガリーのカロス遺跡で発見された10世紀マジャル式弓入れの復元品)

ステップ騎馬民族の弓入れは腰の左側に、矢筒は右側に、ベルトに吊るされてカフタンの上から、さながらガンベルトの様に巻かれていました。

スカンジナビアでは矢じりを下に向けて矢を筒の中に収納するのに対し、ビルカ駐屯地で発掘された矢筒には矢じりが向きに収納されていました。
この事から守備隊には装備品だけでなく弓矢の取り扱いについても、東方の様式が取り入れられていた事がうかがえます。

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(マジャール式のリカーヴ ボウ)

スカンジナビアでは複合弓を作る技術は無かったか、地形や戦闘の形式から騎射をする必要が無かったため、主に単一木の長弓が使用されていました。

しかし東ヨーロッパや東方への進出によって目の当たりにした、騎馬民族の武器や戦法や文化に大きく感銘を受け、影響されたのは間違いありません。

小型なのに長距離でも正確な精度を持つ複合弓と、東方騎馬民族の騎射が、最先端で最前線の貿易都市においてヴァイキングたちには必要だったのでしょう。
マジャル (ハンガリー) やルーシ (ウクライナ、ベラルーシ、ロシア) の傭兵を抱えていた可能性もありますが、ビルカを守備するヴァイキングたちも特別な顧問から訓練を受けて、複合弓の射法や彼らの乗馬法、騎射法などを貪欲に学び身につけた事でしょう。

ビルカを除くスカンジナビアのヴァイキングの土地で東方の複合弓が使われていた事を裏付ける証拠はありませんが、ビルカの他でもマジャル様式の装飾品が発掘される事から、局所的に使用されていた可能性は捨てきれません。


私は専門家でも歴史に詳しいわけでもありませんし、弓矢に特別詳しいわけでもありませんが、読んでいただき「ヘ〜面白かったな」と思っていただけたなら幸いです。

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