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バンド活動-Beatles, Radiohead, AlternativeRockの時代

中学生時代の終わり頃、M君という友達がいた。M君とはカメラ部の部員仲間で登下校の電車の中でよく一緒になり色々な話(恋の話などetc.)をしていて仲が良かった。M君は最初の頃J-POPを聴いていた。僕がある日ツェッペリンの「Stairway To Heaven」を聴かせると、あまりピンと来ていないようだった。けどM君も後にツェッペリンが好きになった。その後、当時僕がハマっていたレッチリを聴かせると、彼は「Fleaみたいになりたい。」と言って、ベースを買いたいと言い出した。それで御茶ノ水の楽器店まで一緒について行った事がある。彼は青いJazz Bassを買った。

その後、何度かお互いの家に遊びに行き合う仲になり、高校生になった頃、彼とバンド活動を始める事になった。

最初はBeatlesやレッチリやストーンズ、ジミヘン、T-REX、CAROLなどをコピーするDICEというバンドを組んだ。初めのうちはうまく行っていたのだけれど、段々とメンバー間でプロを目指すか目指さないかという話が持ち上がり、それが理由で解散してしまった。

M君と僕はあの頃プロを目指していた。新しいメンバーを探す事になって、DICEの頃、ライブで対バンをしていたU君とT君(中学時代のT君とはまた別の人)と一緒にスタジオに入る事にした。その時合わせたのがRadioheadのパラノイド・アンドロイドだったように思う。スタジオを出た後、M君は僕に、「どうする!?」と尋ねた。僕は「悪く無いように思う。皆んな上手いし。」というようなことを答えた。その日から彼らと新たにCoyoteというバンドを組む事になった。

Coyoteは主にRadioheadのコピーから始まり、Beatles、Free、Oasisなど当時流行っていたAlternative Rockバンドと昔のロックを合わせたような事をやっていた。当時のバンドとしては地味だったが、音楽好きのお客さんや同級生達からは絶大な人気を誇っていた。

練習回数も凄かった。ほぼ毎日のように彼らと一緒にスタジオに入っては反省会をし、気がつけば家族のような存在になっていた。

当時の音楽シーン(2003年〜2004年)を振り返ると、SUMMER SONIC 2003ではRadioheadを筆頭にTravis、Stereophonicsなどそうそうたる面子が来日していた。IncubusやFranz Ferdinandも新作を出し、退屈する事が無かった。

そしてまさに、RadioheadとRed Hot Chili Peppersが世界のAlternative Rock市場を席巻していくその真っ只中にあった。

Coyoteを始める前、2004年の初めにRadioheadの東京公演をM君と観に行った。ごった返す人の群れ、フェンスで押し潰されて倒れる人、「トム!!」と叫ぶ熱狂的なファンで幕張メッセは満員になった。僕はもう既に熱狂的なファンの一人だった。アンコールで「Planet Telex」をやってくれた時のことは今でも覚えている。ジョニー・グリーンウッドが不思議な弾き方で曲の始まりを弾き始めた時、まさか!?と思ったら、僕が一番聴きたかったPlanet Telexだったのだ。

1年後、Coyoteもすっかり人気バンドになり、他校から女の子のファンが観にきてくれるようにまでなった。しかし、ある時僕はバンドを辞めると言った。

理由は今思えば本当に些細なことだったように思う。ただそういうすれ違いの積み重ねがバンドを辞めるきっかけになった。

あれだけ、大切なものだったのに何故?と今でも思う。バンドというのはメンバーが一心同体になって初めて威力を発揮する。Coyoteも正にそんな感じのバンドだった。けどバンドというのはある意味、夫婦よりも繊細な関係にあると言えるかもしれない。今でもあのメンバーと全く新しい音楽を作る夢を見る事がある。けどもう時は戻ってこない。あのメンバーと駆け抜けた、たった一年足らずの時間は、僕にとって一番楽しかった思い出だ。

M君とはその後少し距離ができてしまったけれど、その後またバンドを組んだり、また僕が抜けたりと、つかず離れずの関係でいる。2回目に辞めたときは本当に”音楽的な方向性の違い”だった。

一回、M君と「この電車の終点まで行ってみよう。」という事になって、茨城県の取手駅まで行き、その後鉄道に乗って水海道という所まで行ったことがある。その日は"曲を書くための旅"という名目で旅していたのだが、水海道に着く頃にはもう日が暮れてしまっていて、僕が「凄い良い景色が広がっているよ。」と言うとM君は「そんな事どうだって良いよ!曲書けなかったじゃねえかよ!」と怒られた記憶がある。深い黒々とした川の、木の橋を渡ったりして、今からしてみればM君との思い出は僕にとっての"スタンドバイミー"だったなぁなんて思うのだ。

そんなこんなでバンドを高校2年生の終わりに抜けてしまった僕は、一人で曲を書き始めた。James TaylorやBob Dylan、Neil Young、Tom Waits、Randy Newmanといったシンガーソングライターの大御所とも言える人たちの音源を漁るように聴いていた。

そして大学時代は音楽サークルでの思い出、学外でのミュージシャン達との様々な出会いがあった。その事を次回に回そうと思う。

毎度思うのだが、noteには書ききれない何かがあるような気がしてならない。

ただ、今だからこそ思うのは、この頃の僕に関わってくれた全ての人に"ありがとう"という気持ちで一杯だ。ここに書いてもなかなか伝わらないかも知れない。そういう気持ちは作品にして伝えられたらと思っている。

最後にCoyoteで僕が初めて披露したオリジナル曲の音源を載せて終わりにしよう。

長文お付き合い下さり、ありがとう!


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