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ギター、ロックとの出会い-Eric Clapton, Jimmy Page, Robbie Robertson, Beatles, Red Hot Chili Peppers, Radiohead

中学生になり、音楽に興味を持っている友達が増えた。とりわけ、”洋楽”に詳しい友達が多かった。僕は彼らに遅れをとっていたけど、小学生の終わりにジョン・レノンを聴いていたので、その続きで「Starting Over」を聴くことに夢中になっていた。

中学校1年生の時、学校の文化祭でオリジナル曲をCDに録ってきたT君という同級生がいた。そのCDのあまりのクオリティの高さに僕は唖然とした。きっと周りの友人達も同じだったろうと思う。その事を契機に僕はギターを始めようと思った。今思えば、T君がいなかったら僕はギターを本気になって続けていたかどうかわからない。

もう一人、もともと洋楽やロックが好きでエレキギターとPignoseの小さなアンプを学校に持ってきているN君というクラスメイトがいた。彼と音楽室で最初に音を出した時の事をよく覚えている。彼はパワーコードの弾き方を既に知っていて、僕は「禁じられた遊び」の触りの部分くらいしか弾けなかったのでとりあえずお互いにギターを弾いたら意気投合し、「今度うち来て遊ぼうぜ!」と彼が言ってくれたのを覚えている。そこから中学時代のほとんどの時間、N君と過ごしていたように思う。

僕はまずBeatlesの「Let It Be」のギターソロとチャック・ベリーの「Johnny B. Goode」をコピーすることから始めた。その頃はギターソロばかりに興味を持っていた。そのうち親がビートルズのコードブックを買ってきてくれたのでそこからコードも勉強し始めた。

次に取り掛かったのが、当時AppleのCMにも使われていたCreamの「White Room」だった。これにはエレキギターの音を歪ませて、ワウペダルをかけなくてはいけなかったので、N君と渋谷のセンター街の奥にあった石橋楽器に行ってあらゆるエフェクターを試奏させてもらい、自分の好みの歪み系エフェクターと一番安く売っていたワウペダル(Crybaby)を手に入れた。それから始終、N君とは今は無きセンター街のHMVと石橋楽器に入り浸るようになった。

2001年のクラプトン来日時の武道館も観に行った。エレカシの時を合わせると人生で2度目の武道館だった。僕は始終クラプトンを観ていたが、「あのジョン・レノンやビートルズとも合わせた事のある人だから記憶に焼き付けておかないと。」と思い必死になっていたのを覚えている。実を言えばこの頃まだクラプトンのマニアックな曲目にはあまり関心が無かった為、せっかく観に行ったにも関わらず感動し切れなかった曲もあった。けどレイラとレプタイル、最後に"Over The Rainbow"をやったのは覚えている。

当時の渋谷HMVの一階から二階にかけてのエレベーターの横の壁にはLed Zeppelin IIのアルバムジャケットの大きな絵が飾られていた。ギターを始めたばかりの頃、何故か"エリック・クラプトンは神様だ。"と思っていた僕は、なかなかツェッペリンの扉を叩こうとはしなかった。ところがある日、母がアコギを持って僕の前でツェッペリンの「Stairway To Heaven」とELPの「The Sage」を弾いてくれた。それと、家にあったレーザーディスクにツェッペリンの「狂熱のライブ」があり、そこで観たジミー・ペイジの弾く「Since I've been Loving You」の映像で、「ギターってこんな自由に弾いていいんだ。」と感動して、ツェッペリンもコピーするようになった。

その後、Creamの「Crossroads」やLed Zeppelinをコピー出来る様になってきて段々と他のロックミュージックに深く傾倒するようになっていった。ジミ・ヘンドリックス、ニール・ヤング、Deep Purple、Black Sabbath、Free、Focus、Pink Floydなど、ロックと名のつくものは何でもコピーしていたように思う。

そのうち、N君の家でT君も一緒に"ギター会議"のようなものをやっていた事がある。T君はJ-POPを中心とした嗜好、N君はメタルにどっぷり浸かっていて、僕はその中間くらいの距離にいた。僕らは学校の屋上の手前のドアの前に集まってアンプを使って音を出したりもした。螺旋階段になっているので僕らが音を出すと必然的に全校舎に音が響き渡る事になった。当然のように人が集まってくる。とても青くて清々しい記憶である。

N君とHMVに行くとよく新しい洋楽のアルバムを紹介された。僕はクラシックロックばかり追いかけていたので最初はピンと来なかったが、ある日とんでもないバンドと遭遇することになる。HMVの洋楽ロックの階(5階か6階だったか?)でテレビ画面に映し出されていたモヒカン頭の男達。全員同じような髪型をしているがメンバーそれぞれの個性が滲み出ていて、とても洗練された演奏をしている。それがRed Hot Chili Peppersだった。

レッチリはその頃、「By The Way」というアルバムを出したばかりだったが、僕は「Off The Map」という彼らのライブDVDに深く興味を持った。長髪のミュージシャンの演奏ばかり聴いていた僕が、彼らに深く興味を持ったのはそのサウンドが新しく、かと言って古いロックのサウンドをバカにしていない所だった。

こうして音楽のことばかり考えていた僕は、中学2年生の時の音楽会で大勢の人前で初めてアコギを弾く事になった。B'zの「HOME」という曲だ。とても緊張していたのでちゃんと弾けたかどうかは覚えていない。だが多くの人から喜んでもらえたのがとても嬉しかった。

そして中学3年生の時、文化祭の後夜祭でエレキギターを弾かないかと、クラスメイトに誘われた。人前でエレキギターが弾けるなんてそんな嬉しいことは無いと思った僕はすぐに引き受ける事にした。最初はアヴリル・ラヴィーンの「Complicated」をやろうとしていたが、ちょっと難しいということで椎名林檎のカバーした「君ノ瞳二恋シテル」をやることになった。初めてスタジオを借りて練習し人前でエレキギターを弾いた瞬間だった。とても懐かしく嬉しい思い出になった。

丁度中学生から高校生になる頃、たまたまTSUTAYAで借りてきたRadioheadの「Bends」というアルバムがあった。CDプレーヤーに入れ音が流れ始めて数秒後だったろうか、”なんだこれは!?”と思ったのを覚えている。全く新しい音楽だと思うと同時に、何故かワクワクするようなそんな感じがしたのだ。この翌年に彼らはSUMMER SONIC 2003で来日する事になる。

あともう一つ、僕にとって重要な音楽との出会いがあった。The Bandの「Tears Of Rage」という曲である。凄く激しいサウンドの中を漂っていた僕はある日、家のCD棚に飾ってあるThe BandのCDをそれとなくかけてみた。最初のイントロのギターが何故か心に深く沁みたのだ。それからロビー・ロバートソンのギタープレイを研究し始めた。普通のギターリストでは思いつかないフレージングの数々、手グセでは弾けないよく練られた粘っこいブルース色の強い音。バッキングの仕方も影響を受けた。

そんなこんなで僕は高校生になっていくのだが、高校生活では色々な音楽人との出会い、更なる演奏力の飛躍と、正に音楽を人前で実践する機会が増えた。この話を次回に回そうと思う。

なんだかこうしてnoteに書いてみると、書ききれない部分も出てくる。全部書いていたら読みきれなくなってしまう。話そびれた事は追々、機会があれば話したい。

最後に、僕が中学2年生(14歳)の時に初めてカセットテープを使って録音した「ただのブルース」という音源を載せて終わりにしよう。

長文お付き合い下さり、ありがとう!


2020年1月18日(土)



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