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思いやる心

 
 思いやる心が当たり前な北東北地方。それは1万年続いた縄文文化のカタチが残る証なのかもしれない。そこからつながる文献は残っていないらしいが、南部菱刺しは250年前ごろには既にあったとされる。寒冷な土地でも育つ麻を材料に、繊維をいくつもの工程を経て糸にし、それを機にかけ平織りの布を手織り、さらにその布目をふさぐように木綿の糸で毎段縦糸を偶数数えながら刺し子していく(ちなみに奇数目すくうのが津軽こぎん刺し)。それがいつの間にかキレイな模様となって発展していく。
 模様の名前もかわいらしく、梅の花、べごのくら、ねこのまなぐなど、身の回りにある有機的な物から取られたカタチが多い。地道な工程に、現代では「気が狂いそう」とか「信じられない」と言う人もいる。しかし、南部菱刺しが受け継がれてきたのは、思いやる心があってこそ。かわいい子どものため、働く旦那さまのため、膨大な時間と労力を費やす。それは安価に入手しやすい服より数段暖かかっただろうし、何より愛着が湧いたであろう。
 明治時代には東北本線開通とともに物流が良くなって鮮やかな色の糸が入ってくるようになり、嫁入り前の娘達の間で前掛け作りの大ブームが起きるが、昭和初期に化学繊維の台頭で衰退していく。だが、「民芸」という言葉を作った柳宗悦を筆頭とした民芸運動が東京から起こり、これにより日本の伝統工芸品の一つとなる。
 現代は疫病、戦争、不況、震災と立て続けに不安な事態が起きている。もうけた違いなバブルを夢見ないし、都会の人口過密も疲れる。そうなると、豊かな土地と思いやる心を持った青森が主流の時代がまさに今来ているのではないかと思ってしまう。青森は何も無い場所ではなく、ほかに無いものがたくさんある場所。縄文時代へリターントゥザソース(原点回帰)。とは言ってもいきなり槍や土器では過ごせないから、これからはパソコン、スマホなど便利なツールを使いこなしながら世界へ情報発信し、思いやる心を持って隣近所仲良く声を掛け合い、自分が好きなことを目いっぱい楽しむという、理想的な過ごし方をしていきたい。
 私にとっての好きなことは南部菱刺しだったのだが、今は仕事にもなっている。関東圏や海外からのお客さまに対し、来てくれただけでもう「何でもOK」になってしまうくらい思いやる心が出過ぎて商売上は問題ありなのだが、自然も人間も全て受け入れてくれる懐の深い場所が青森。「なんとかなるさ」と日々楽しむことができる場所でもある。

デーリー東北新聞社
令和4年4月13日紙面「ふみづくえ」掲載

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