見出し画像

かつてこの地域で麻がいかに重要だったか

南部菱刺しが生まれた理由等
故田中忠三郎さんについてもふれられてます。

デーリー東北 天鐘 2014年5月3日から

 大麻は太古の昔から人間に利用されてきた植物だ。茎から繊維を取り、糸を紡ぎ、布を織る。全国的に綿が普及し始めてからも、綿花が育たない青森県では各地で麻を栽培していた▼県内の栽培面積は戦前に300ヘクタールを超えていた。だが、戦後15年ほどすると、3%程度にまで減った。激減の大きな理由は大麻取締法の制定。乾燥して悪用すると精神に有害だとして、栽培には許可が必要になった▼経済の成長とともに着心地のよい綿製品を買い求めやすくなり、化学繊維が登場した時代背景も重なる。そうした世の中の変化に伴って、古くから続いてきた大麻の栽培と麻織物づくりは廃れた▼古来の生活文化が消えつつあることに危機感を抱く人物がいた。川内町(現むつ市)出身の民俗学者田中忠三郎さん(1933~2013年)。江戸時代から昭和初期にかけての麻の衣類や紡織用具を集めた。その数は約3千点に上る▼麻布に刺繍(ししゅう)を施して丈夫にし、保温性を高めた。それで南部に菱刺し、津軽にこぎん刺しが生まれた。「日常を支えた麻布の生活を見落としてはならない」と、田中さんは著書で説く▼大麻栽培の名残か。困ったことに、種子が長い休眠から覚め、育つ場合がある。見つけ次第、保健所などが抜き取る。昨年は28万8千本余りを除去した。99%が三八、上十三地区という。今月から来月末まで大麻・けし撲滅運動の期間。成長の早い大麻との戦いが今年も始まった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?