敦盛塚を過ぎ、蕎麦を食べて、久足は垂水で一泊します。
現在の敦盛塚から垂水までは、線路脇に大型トラックがビュンビュン通る海沿いの幹線道路があり、歩道は確保されているものの、歩いていると気が休まりません。途中、海釣り公園を経て、垂水に着きました。
久足は、須磨で月を見たかったようですが、須磨には人を宿すところがなく、あっても海から遠いとかねて聞いていたので、垂水に宿ることにしたようです。
夕食を食べ、湯浴みをしたのち、いよいよ念願の月見です。
感動のほどが伝わりますね。ここで久足は湧き出るまま十三首の短歌を詠みます。
さて、こちらは夜ではなく昼ですが、久足の感動を追体験したく海を眺めたものの、休業中(?)のアウトレットモールが淡路島を遮り、まあ、そんなもんか、という眺めです。
一方の久足は、筵(むしろ)を敷かせて夜が更けるまで月を眺めつづけます。
「しぶしぶ宿にかへりて」に、後ろ髪引かれる思いがよくあらわれてますね。
たまたま見たのではなく、歌枕という歴史的な時間、それを見たいと思い続けた久足の個人的な時間、そして九月十三夜にちょうどたどりつくように旅をした時間、と幾層もの思いと時間が重なり、この感慨にいたったわけです。
そうなんですよね。久足を追って旅をしているとよくわかりますが、目の前の風景を、古人も見ていた(ぼくの場合は、久足が見た)、と幻視することで、感慨は何倍にもなります。時間を越えた共感が、感動を呼ぶともいえますね。
さて、久足はここで一泊ですが、こちらはまだまだ歩きます。といっても久足はこの日、三宮発ではありませんから、久足より歩いているわけではありません。
翌十四日、まず海神社に詣でます。
場所は移動しているようですが、遊女塚(宝篋印塔)もちゃんと残っておりました。
つづけて向かった先は、千壺陵こと五色塚古墳です。これは圧巻でした。
現在は、学術調査に則りつつ復元された姿となっており、壺もレプリカですが、久足はそれ以前、江戸時代の五色塚古墳の様子を詳細に書き記しており、じつに貴重で興味深い記述です。
なんでも、久足が聞き書きしている「この石はこの国にはなき石にて、淡路島には今のよにもこの石のごとき石あれば、この石は則あわぢしまよりとりてきづきたるものならん」という村人の言い伝えも、調査の結果、事実だと認定されているそうです。
さて、すぐに舞子の浜です。
しかしいまは、松云々というより、明石海峡大橋に圧倒されて、他は目に入らない感じですね。
間近で見ると、自然もすごいけれど、現代の土木技術もすごいな、と感嘆せざるを得ません。
なんというコンクリートの塊でしょうか。久足が見たらなんというかなぁ。
さすがにこちらはヘトヘトになってきましたが、大蔵海岸を経て、ようやく明石到着です!
久足は、いくつかの神社に立ち寄りつつ、人丸社に向かいます。
この稲爪神社のあたり、旧街道の風情が残っていて気持ちいい道です。
人丸神社は、明石市立天文科学館のうえにあり、久足のいうように眺望のいいところです。
やっぱり久足、いろいろ文句つけてますね。
芭蕉自身が悪いわけじゃないと断りつつ、後世の好事家がつくった芭蕉句碑を「いとうるさくぞ見えし」といってますが、それもちゃんと残ってます。
「うけがたく」という盲杖桜もあります。
久足も「人丸と申御名を、火とまる、とおしまげたるよりのしひごとなり」と聞き書きしてますが、いまも「人丸」=「ひとまる」=「火止まる」ということで、火除けをうたっているようです。
久足は明石から舟に乗って大坂もどる予定ですので、ちょっと距離のある赤羽神社は気になりつつ、パスしたようです。よってこちらもパス(さすがにつかれているので、助かった)。
忠度塚も健在で、折しも藤がきれいでした。「前にはいしのいがき有。又なにをゑりたりとも今はわかりがたき石碑と、又この所しるあかしの何某の歌をゑりてたてられたると、ふたつあり」という記述とも齟齬しないかな。
久足は明石城内は通っておりませんが、いまは公園になってますので、こちらは城中を通ります。いい感じに手入れされていなくて、かえって風情がありました。
さあ、久足は舟に乗って大坂に向かいます。船路は悠々たるものですね。
ほとんど月見の遊覧船のようで、気持ちよさそうですね。
さあさあ、こちらも三宮にもどりましょう。明石から電車に乗って約15分で着きました。
15分!
半日というか、日中ずっと歩きとおした行程が、電車だとたった15分!
普段、当たり前すぎてなんとも思っていませんが、電車って、文明ってすごいなぁ、と小学生のように感動するのでした。
しかしこうなってくると、いまの時代、歩く方がずっと贅沢だよな、と思ったりもします。