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時系列と因果律【2018年02月18日ブログ記事再掲】

しばらく人生相談の要因連関分析をやってみましたが、やってて面白いというのが一番ながら、一方では、ちょっとした狙いを確かめようと思ってのことでした。

それは、分析・考察の方法論としての自覚です。よく、学生のレポートや意見に「分析が甘い」とか「考察が足りない」とかいいますし、それは実際にそのとおりなのですが、じゃあその分析・考察とはなんぞや、というものについては、案外、はっきりと把握できていないのではないか、と思ったからです。

もちろん、結果として分析・考察がよくできているもの/そうでないものは、はっきりとわかりますし、学問の世界では、稚拙な論文は「分析が甘い」「考察が足りない」と斬り捨てられるのはやむを得ないのですけど、対学生という教育の視点からは、その物言いはあまり建設的ではないな、と感じます。要するに、監督から「お前はヒットが打てていない」「ホームランを打てといったのに、なんで三振するんだ」と叱られているようなもので、打席に立っている者からすれば、だったらどうやったら打てるのか教えて下さいよ、という気分でしょう。

そんな分析のできない学生に、(この方法がすべてではないけど)こうやったら分析できますよ、ということを方法論として提示できるのならば、この要因連関分析というのは、なかなか有効ではないか、と考えたわけです。で、人にさせるのに自分ができなかったら話にならないので、とりあえず一ヶ月ほどやってみよう、と試みてみました。いや、有効ですね。自分のなかで「芸」としてやっていたものが、明確に方法論として自覚できた気がします。

ところで、某先生の最終講義を拝聴し、そこで『納得の構造』(渡辺雅子、東洋館出版社)なる本が紹介されていて、たいへん興味をそそられました。なんでもその先生は英国留学した折、指導教官の先生にやたらダメだしされ、日本では通用していたやり方(論文の書き方、研究手法)がなぜ理解されないのかと苦労し、あるとき、この『納得の構造』を知って、深く得心したとのこと。つまり、西洋と日本(東洋)では、納得の構造がちがうというのです。

それで『納得の構造』を読んでみると、じつにおもしろい。ある四コマ漫画を日本とアメリカの小学生に示して「どんな日でしたか」と聞いたところ、日本の小学生とアメリカの小学生の答え方にかなり差が出たそうな。

日本では、コマの順番のとおり、

①「夜中までテレビゲームをした」ので、②「朝寝坊をしてしまい」、おかげで③「バスに乗り間違えて」、遅刻して④「ピッチャーとして先発できなかった」ので、ひどい一日だった。

と「時系列」でほとんどの子どもが説明します。もっともアメリカでも7割の子どもはそうなのですが、残る3割の(そしておそらく「できのいい子」は)次のように説明したそうな。

彼は④「ピッチャーとして先発できなかった」、なぜそうなったかというと、①「夜中までテレビゲームをした」ので、②「朝寝坊をしてしまい」、おかげで③「バスに乗り間違えて」しまったためだ。よって彼は悪い一日を過ごした。

これは、アメリカでは小学生からエッセイ(日本の随筆ではなく、小論文)のスタイルを徹底して学ばせ、そのエッセイは、主題・論証・結論の三部で構成されるためだという。そして、このエッセイ指導でもっとも重視されるのは、「理解」ではなく「分析」であって、そしてその「分析」とは、「因果律」に極まる。つまり日本では、人を説得しようとするとき(つまり論文を書くとき)、「そして」「だから」という順接を多用して叙述する、ある種の「時系列」様式をとるのに対し、西洋では「なぜなら」にどこまでもこだわって、「因果律」様式をもってする。

日本では「時系列と共感」、アメリカでは「因果律と分析」、と日米の小学校における作文教育の目指すところがまったく違うことを、『納得の構造』は実態調査と歴史的背景をもとに考察していて、得るものが多い書でした。

またこれが、某先生がイギリスの指導教官に当初は認められなかった理由だそうで、それがわかってから、因果律に基づいて説明(叙述)をするようにしたら、(いっていることは同じなのに)、評価がガラッと変わったそうです。つづけて某先生は、これは文化の違いだから、良し悪しや優劣ではないけれども、学問の世界は西洋近代の価値観で成り立っているので、そこで勝負するには、そのときにスイッチを切り替えることが大切、ともおっしゃっていました。なるほどですね。

これで、日本人の日記やブログ好きの理由もよくわかりますね。因果律ではなく、時系列が好きなのですよ。

翻って、要因連関分析。日本人は放っておいたら時系列叙述をしてしまうから、分析が甘くなってしまうことがわかりました。だから、一次要因を思いついたら、それぞれに「なぜ」と因果関係を想起して、二次要因・三次要因を見出していく要因連関分析は、分析の教育には、すこぶる効果的だな、とあらためて思った次第です。

しかし、わかっててやめないのですけど、このブログの文章は、因果律よりは時系列が支配的ですね。連句の付合のように、そういえば、と連想的に展開していく文章って、やはり日本人にはなじみます。

「そういえば」時系列といえば、最近いろいろ刺激的な本をたくさん読みました。まず『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(集英社インターナショナル)という、例の村上春樹の小説をもじった、ふるったタイトルの対談本がありまして、これがすこぶるおもしろいのです。中世の歴史学者・清水克行(『日本神判史』も『喧嘩両成敗の成立』もよかった)と、ノンフィクション作家・高野秀行(『謎の独立国家ソマリランド』は大傑作でした)が、ソマリアと日本中世は似ている、というなんだか世界レベルの方言周圏論のような発想で、話をしているのですけど、たしかに、似ている。また、共通項が見いだせるからこそ、違うところも際立って、そこらの吟味も読ませます。

で、本書のなかで紹介されていたのが勝俣鎮夫の論文です。『中世社会の基層をさぐる』(山川出版社)に所収されている、すこぶるまっとうな学術論文のタイトルが、名づけたり、「バック トゥ ザ フューチュアー」! いやあ、さすが東大名誉教授、ぶっとんでます。しかも、読んでみると、内容がさらにぶっとんでいる。

「サキ」「アト」という日本語の用例を洗いなおし(この手続きは、「素人」と謙遜されてますが、完全に文献学的実証主義です)、いまは「サキ」が未来、「アト」が過去を指すことが一般的だけれども、古代・中世までは「サキ」が過去、「アト」が未来を指すことが一般的で、17世紀初頭に、その転換が起きたことを論証する。つまり近世以降、いまと同じく前向きに未来に向かって行くけれども、古代・中世では、後ろ向きに(過去を見ながら)未来に進むわけで、つまりは「バック トゥ ザ フューチュアー」。しかもこの基づいたあの有名な映画のタイトル、じつはホメロスの『オデッセイア』が典拠だそうで、古代ギリシアもやはり「背中から未来に入っていく」時間感覚を持っていたという。すげえ。

じゃあなぜ(出た、因果律!)、過去から未来へと百八十度回転したのかというと、それは仮説としながらも、戦国時代を経て、次のような時間構造を獲得したからではないか、と推察する。

ここで新しく形成された、未来に向き合うという時間認識の姿勢は、西洋近代社会のもとで明確なかたちで形成された「近代的時間観念」と同じ認識の方向――知覚的に認識しうると考えていた時間に、神仏の支配領域に属し、人間が知覚できないものと考えていた時間を、知覚可能な時間として、新しく「人間」社会の時間に加え、過去・現在・未来という時間構造をつくりあげ、人間が正常な姿勢で進む前方に未来をおく方向性――をしめすものであった・・・・・・

勝俣鎮夫「バック トゥ ザ フューチュアー」『中世社会の基層をさぐる』

やはり、人類をある種の条件の下で醸成させたら、「個」「私」「内面」、そして未来を向く時間感覚というものは、やはりその直接的な影響を前提としなくても、いわゆる「西洋近代主義」に向かって進んでいくのだろうな、と感じざるを得ません。

もっとも、それがそれが択一的な人類の選択肢であったとも、必ずしも思わないのは、真木悠介の名著『時間の比較社会学』を読めばあきらかです。思えば本書も、未来に向かって進んでいくいまでは一般的な時間感覚を疑うことからはじまっていました(この問題意識は、真木悠介名義の『気流の鳴る音』『自我の起源』『南端まで』にも通底します)。西洋近代的な(つまりはいま支配的な)「直線としての時間」、そしてアジアに見られる「円環としての時間」だけではなく、アフリカやラテン世界、そして古代社会では(おお、ここにも世界レベルの方言周圏論)、反転と往還の「振動する時間」という、過去を向いて累積する時間というものが示されていました。

ここらへん、時系列と因果律の問題とからめて(この精神構造の由来を見極めたい)、あらためて考え直してみたいところです。

【追記】要因連関分析、すっかり忘れていました。結局、いまだに分析は「芸」でやってますが、こういうことを一回試みたおかげで、意識しなくとも、どこかで役に立っている可能性は高いですね。またやってみようかな。

http://hishioka.seesaa.net/article/a42280234.html

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