俊成社
京都駅から烏丸通をずっと北上し、ビル群なかを歩いていると、松原通にさしかかるころ(要するに松原通烏丸下る)、あれ、こんなところに社が、とホテルのビルに作りつけで組み込まれているのが、俊成社です。
こういう作りはめずらしいなぁ、と思いますが、久足の紀行文を読むと、さもありなん、という事情が知れます。
久足は文政11年(1828)に、当時、紙商人の家の庭にあった俊成社を訪ねるのですが、「けふはさはりあり」といって断られます。
どうってことない記述に思えますが、11年後の天保10年(1839)の紀行文を読むと、詳しい事情とその後のいきさつが知れるのですね。
なんでも、「はやくその家にいひいれて詣んとせしに、「いとなみいそがし」とて案内をせざりしかば」というのは、おそらく例の11年前のことを指すでしょうから、「けふはさはりあり」=「いとなみいそがし」と断られたわけです。
その後、その紙商人は「あやしく滅亡およ」んだのですが、それは「さる心なのしれ人にて御社をもなめげにあつかひしことやありけん」と、久足は勝手に想像しております。
しかも「その後そこに引うつりし 人もたゝりありしおもむき」だったので、「御社地を町中のものとし、御社を修覆し、路次をひらき、供人参詣あるやうに」近ごろしたとのこと。
なるほど、いまもこうしてビルのなかに作りつけてあるのは、祟りをおそれてなんでしょうね(たぶん)。
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