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地獄越と安土城址
彦根に泊まったからには、久足が信仰する多賀大社に参らなければ。
わがみうまれいでてほどなく、いとおもき病にかゝづらひて、すぐに命もあやふかりしかば、母と祖母なりける人とふかくなげき給ひて、はるばるとこの御神(*多賀大社)にしもねぎごとし給ひたるに、たふとくもしるしありて・・・・・・
命拾いした久足は、久足は多賀大社の別当弟子分として、十歳まで髪を置かせずに育てられたそうな。
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彦根からは味のある近江鉄道に乗って赴きました。以前、Aさんに連れてきていただいたので、訪れるのは二度目です。
さあ、そこからまた近江鉄道に乗って五箇荘へ。
はじめて来ましたが、落ち着いたいい町並みですね。
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ここにある外村繁(とのむら・しげる)邸も訪問。彼の小説を読んでみたいと思いつつ、いま絶版で手に入らないので、まだその機会は得られず。こんど古本で読んでみよう。
ところで今日の目当ては、地獄越です。
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写真の中央、へこんでいるところがそうですね。ちなみに右の山のピークには、雨宮龍神社があります。
地獄越とは物騒な名前ですが、ここを久足が通っているのですね。
まず山麓の石馬寺(いしばじ)へ。
七里村といふをすぎて石馬(イシバ)村といふにいたり、石馬(イシバ)禅寺といふにまうづ。門にちかく太子駒つなぎ松と石標たてる松あり。名はうけられねど松はいみじくふるく見ゆ。そのほとりちかく池めきたるあたりありて、中に石馬といふがあるよしいへど、草しげりて見えず。その石馬は天よりふりし石也とかや。門はわらぶきにてものさびたるを入れば、石階にて三丁ばかりをのぼるに、その石どもゝものさびて苔むしたり。その石階より右のかたなる石階を半丁計のぼりて又門あるをいれば、その石馬禅寺にて庭よりのみわたしいとよし。
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ここでは「雷除の守」をもらってます。
この寺より雷除の守といふものいだすがしるしあるよし、しるべのをのこがいへば、寺僧にひとつこひたり。われはやく雷をおそるゝくせありしが、ちかきころはおほかたそのくせやみたれど、そのなごりなきにあらねば、この守をもこひたるなるが、なまものしりに似げなきことゝ人はわらふべけれど、よの中のことはおほかたはかゝる好憎の私心よりしてまよひをひきいだすものぞかし。
お守りひとつもらうのにも、なんだか言い訳がましいのが笑えます。
さて、この寺のご住職に、地獄越にはどのようにいけばよいか聞くと、ちょうどこの寺からつづく石段をそのまま登って、雨宮龍神社にいけば、そこから尾根伝いでいけるとのこと。
こちらも飲み水を用意していましたが、心配して、これを持っていくといいですよ、とアクエリアスを一本くださいました。ありがとうございます!
逆に、どんなハードな道なんだ、と心配にもなりますが、とにかく登るのみ。
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いや、往生しました。普通、登山道といえばつづら折りにして勾配を緩めるものですが、この道はとにかくまっすぐ。ひたすら頂上を目指してまっすぐ石段が伸びているのです。これはきつい。
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こんなにまっすぐなのは、なにか宗教的な意味があるんでしょうか。あるんでしょうね。ともあれ、高さの割にキツい登山です。
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頂上にあるのがこの雨宮龍神社です。
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木が茂っておりますが、隙間から琵琶湖も望めます。
久足は地獄越を越えたあと、尾根伝いにこの雨宮龍神社に来ています。
しるべのをのこがいふには、「この峠のうへに明神の御社あり、そこにのぼれはことにけしきよし。そこには寺よりたゞにのぼるみちありて、かけぬけとなれど、その坂はいとけはしければ、をしへまゐらせざりしかど、こゝよりはさばかりもあらず。いざ案内しまゐらせん」といふに、もとよりこのむことなれば、「いざ」とて、さきにたて右のかたに石階を三丁ばかりものぼれば絶頂によきほどの御社おはしまして、御前に竹垣ゆゑゆゑしくつくりめぐらしたる大石あるは、雨壺といふよし。拝殿には「降雨大明神」とある額かゝれり。あたりのいたゞきよりのぞめば、峠よりみしさまとはこよなくみわたしひろく、湖は眼下にさへぎり、東西の近江はおほかたにみゆ。膳所の城までもあざやかに見ゆるにて、そのさまおもひやらるべし。安土はことにまぢかく見えて、城跡の石がきなども見ゆ。かの雷除の守といふはこの神の御札にて、雨ごひにはことにしるしある神なりとぞ。されば旱するをり、雨ごひすとて松の火ともしつれてよる人のつどふこと、ある時は大津あたりよりよきみものとすなるなるよし、しるべのをのこいへり。
おいおい、ぼくは地元の案内人が「寺よりたゞにのぼるみちありて、かけぬけとなれど、その坂はいとけはしければ、をしへまゐらせざりしかど」という道を登ってきたのか。そりゃきついはずだ。
木が成長して、眺望が久足のころよりよくないのは残念です。
さて、尾根伝いに下るとほどなく地獄越です。
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この峠にて石馬村よりのぼるみちとひとつになりてみちひろくなれり。この峠よりは湖ひとめに見えて、すりはり峠にもまさりぬべくいひしらぬけしきなるは、
このよには又あるべくもおもはれず地獄越とはうへもいひけり
かゝるあやしのみちをしもかよふこと、このこのむのくせとわれながらをかしければ、たはぶれに、
身につもる言葉の罪のなすわざか地獄越にしわれは来にけり
ここも木が茂っていて、いまではなんてことのない場所です。
さて、では久足の跡を追って琵琶湖側の須田に抜けるか、というとき、道案内の看板を見つつ、はっと思い当たりました。
久足の跡をたどって地獄越にやってきたけれど、久足とちがうルートでやってきたのだから、これは跡を追ったことにはならないじゃないか、と。
そもそも電車やバスを極力使わずに歩いているのも、久足を追体験するためであって、要するに点ではなく、線や面を意識してのこと。それが、地獄越という点(および地獄越から雨宮龍神社をつなぐ線)に立つことはできたけれど、本来は、久足のたどったルートじゃないと追体験とはいえないじゃないか。
ええ、下りましたよ。同じルートをまた登るとわかっていながら。人生とはこういう無駄の連続なのです。それを避けては、得るものも得られないのです。
こちらはつづら折りで、さほど勾配も急ではありません。そして下りきったところで待ち受けていたのは、これ。
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そっか、いまはこうやって柵があるので、そもそもこのルートからは入れなかったのか。ということは、この行程も無駄ではなかったわけです。
さて、また同じ道を登りますか。今度こそ、久足の追体験です。
さて、(*石馬寺から)もとの石階を半丁くだり、たゞに又石階をすこしのぼれば、鳥居たちて氏神の御社あり。よきほどの御社にて、ほとりに大きなる岩あり。そのみまへよりほそきみちをすこしくだり、「八まんみち」とゑりたる石のたてるほとりよりほそきみちをすこしゆけば、石階あるひろきみちにいづ。それより五、六丁石階をのぼりて峠にいたる。このみちは地蔵越といふみちにてけしきよし、とかねてきゝしかば、けふしもまはりたるなるが、「むかしは名のごとく険阻なりしも、石階さへあらたにつくりてみちをひらきたれば、今は極楽越なり」と人のいふよし、しるべのをのこいへり。されど坂路のほどけはしくなきにあらねば、われもとものをのこも衣ぬぎて荷にうちかけしかば、坂路なるがうへますますもおもきおも荷にうはにうつたぐひにて、とものをのこがことさらなやむは心ぐるし。
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案内人の言葉ではありませんが、雨宮龍神社への道を経験したあとでは、ゆるやかで「極楽越」に感じます。
こうしてふたたび地獄越にもどりました。ここでの久足の述懐が身にしみます。
坂のぼるくるしさをへておもしろくあかぬながめはある世なりけり
こはすべてのことも苦心をせずしては佳境にいたりがたきをふとおもひよせるなり。
又この山の景色などはかならずよに名あるべきことわりなるに、昔より人の詞にもゝれたるはくちをし。おほかたの山水も畢竟は名ある人にめでられてこそ世に名もあらはるれ、名ある人の詞にもれたる名山水のなきにはあらねば、むかしより聞えぬあたりをとらざるはかたくな心なり。その名ある人も天下に足跡あまねきははたすくなければ、おほやけにはあらず。これをおもへば、偶(遇)不偶(遇)は人のうへのみにもかぎらぬ世なりけり、など益なきことゞもゝおもひつゞけられて、しばしけぶりをふく。
まったく「すべてのことも苦心をせずしては佳境にいたりがたき」ですね。まあ、いまの地獄越の景色はよくないのですが。
さて、ようやく峠を下って須田に抜けます。
さてもとの峠(*地獄越)にくだり、それより坂をくだりつくして須田(スダ)村といふにいたる。この村の入口に「五十鈴大明神」とある額のかゝれる御社おはしますは、いぶかしき御名なり。この須田村のうちにてひろき道にいでたるは、よに唐人街道といひて、このこの街道には一里塚もありて琉球人聘使の時などかよふみち也とぞ。
ここで、久足が訝しんでいる「五十鈴大明神」とは、じっさいは五十余州神社です。
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こういうちょっとしたまちがいも含めて、久足が実地を踏んでいることが確認できてうれしいですね。
さて、ここまできたからには、帰りがけの駄賃、安土城址も登ってしまいましょう。
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いや、連続登山はさすがにきついですね。
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またここの石段は間隔が広くて、きつい。
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例の信長が既存の石仏を石段に用いたところもあります。罰当たりですねぇ。
ところで久足は、別の紀行文でこの安土城址(摠見寺)にもちゃんと登っております。
又石ばしをのぼり、ちひさき門を入て本堂にまうづ。・・・・・・この本堂のさまいと古雅にて甚殊勝也。塔は三層にてこれ又甚殊勝にみゆ。鐘楼もあり、境内さばかりひろからねど、甚幽邃閑雅の地にして、紅塵のけがれなき潔浄の地にて、緑陰を愛して繁華を愛せざる輩のかならずよろこぶべき山也けり。
うら門をいですこし山道をゆけば、大相国御宝前といふ石とうろうあり。そこよりすこし坂をのぼれば鳥居ありて、織田家代々の墓といふ石の五輪みつばかりあり。そこよりすこし上のかたに、信長公の御廟はあり。こは昔の天守の跡といふ。このあたりにはすべてむかしの城の石垣そのまゝにおほくのこりて、昔しのばしく、いともの あはれなり。
そもこの山に大相国の御城きづかれし事は『信長記』にくはしくみえたれば、今さらにいはむもおろかなれど、さばかり驕奢をきはめて秦の阿房宮に比せし城廓なるに、星うつりものかはりて、かく寂寞たる一山の風景、断腸のおもひあり。
・・・・・・かくするほど、 村雲にはかにむらがり来たりて、 しぐれふりいでたり。風いとあらく、湖の西のあらしきも、所がらといひ、折からといひ、ものすごきまであはれ也。
うちみやる湖くろく波たちて木葉もすごくちるしぐれかな
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いまはルートが決まっているので、天守閣址→信長廟→織田家代々の墓→三重塔という、久足と逆順でめぐることになります。
あとは安土駅まで歩いて、JRに乗って帰路につきました。やれやれ、さすがにつかれました。
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