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「見田体験」以後、あるいは文学にまつわる断章【2018年01月06日ブログ記事再掲】

むかしから、たまらなく好きな寓話があります。幼少期に何かで読んだので、そのころは出典を確認する癖などなかったから、いまとなっては出所はわかりません。それは、こんな話。

南の島でゴロゴロと寝て暮らしている少年たちがいた。その少年たちを、先進国の都会からやってきたビジネスマンが見とがめて、説教をする。
「そんなに、寝て暮らしていたらだめじゃないか、勉強しなさい」
少年たちは聞く。
「勉強してどうなるの」
「勉強したら、いい大学に入れるんだ」
「いい大学に入ったら、どうなるの」
「いい大学に入れたら、いい会社に入れるんだ」
「いい会社に入ったら、どうなるの」
「いい会社に入ったら、いい給料がもらえるんだ」
「いい給料がもらえたら、どうなるの」
「いい給料がもらえたら、老後は寝て暮らせるんだ」
ここで少年たちはいう。
「なあんだ、じゃあぼくたちはもう寝て暮らしているからいいや」

なかなか含蓄のある話で、いろいろな解釈が可能だと思います。条件設定もなかなか秀逸で、南の島というのは、きっと、とくに働かなくても衣食にことを欠かない状態が約束されている、ということを含意しているのでしょう。

ビジネスマンの提案は、途中で挫折するかもしれず、そもそも人間はいつ死ぬかわからない、ということを前提にするならば、実現可能性は必ずしも高くない。だとすれば、はじめからゴロゴロする、という目的を先取りする生き方を選ぶ少年たちの方が、ずっと説得力があるわけです。

多くの人はこの話から、目的と手段の転倒に対する警鐘を読みとるでしょう。そしてぼくは、文学研究というのは、この「ゴロゴロ寝て暮らす」ことに代入できるのではないか、と思ったりもします。よく、老後は読書三昧が理想、などいう人がいますが、その境地に至るために(受験)勉強→会社→給料→老後という過程を経るというのは、どうにもばかげている。途中で挫折するかもしれないし、死ぬかもしれない。第一肝心の、読書のためのリテラシーを涵養していないから、読む力がない。だったら、はじめから文学部に行って、読書三昧の日々を送った方がいい。

何かのため、という合目的的な生き方、あるいは「役に立つ」ということは、その最終地点を見定めなければ、その価値は計れない。文学研究、あるいは理系の(直接的には社会の役に立たない)基礎学にしても同じですけど、そうした「役に立たない」学問は、「役に立たない」からこそ、目的たり得る(「知への愛」である哲学は、そのものが価値なので、~のために、を想定しなくてよいのと同じ)。

たとえばiPS細胞の研究は、たいへんすばらしく、ぜひとも完遂してほしいし、人類にとってたいへん価値のあることであることは、疑いない。でも、このすばらしく「役に立つ」研究の先を考えてみると、不治の病で命を落とすべき人が、これによって助かる、ということ。では、その助かった人は、助かったことによって、なにをするのか。きっと、そのかけがえのない人生で、やりたいことをやると思います。そう、ゴロゴロするのです。

ゴロゴロというのは、ネガティブな印象を与えるかもしれないので、その人にとってよろこびを得られること、ととらえる方がよいでしょう。もちろん、本人がよろこびを得られても、人に迷惑をかけたらどうしようもない。他人の不幸の上に成り立つ幸福は、結局のところ後ろめたく、真の幸福とはなり得ないでしょうから、人に迷惑をかけずに満足を得るというのが大切になる。そしこの相剋的ではなく相乗的な幸福(by見田宗介)、人に迷惑をかけない幸せの最たるものが、知的好奇心を満たす(知への愛!)ことだと思われ、もちろん文学研究はそこに該当します。だから、堂々と自信を持ってゴロゴロ(読書)すればいいのです。遊びをせんとや生まれけむ。

しかし、人生は安逸ばかりではありません。想像を絶するようなつらい目に逢うことがあります。そこでもやはり、「意味」や「役に立つ」だけでは解決できないことを、文学によって乗り越えることができると思います。いや、もっと踏み込んで、文学(人によっては宗教)によってしか乗り越えられないことがある、とさえ思います。

かつて様々な公害があり、それを解決することで日本の環境技術が発達したことは疑いない。でも、水俣病の「おかげ」で、日本の環境技術が発達した、という物言いをすれば、一番ないがしろにしてはいけない大切なものを捨象してしまっていることになる。

いや、「意味」も「役に立つ」ことも大切に決まってます。水俣病が起きた、というこの不可逆な事実に対して、残された現実的な選択肢として、犠牲を無駄にしないために、その過ちを見つめ、同じ繰り返されないように、会社なり国なり社会なりがその経験から学ぶ(あるいは学ばせること)ことは、水俣病患者にとっては、こうなったことの、せめてもの「意味」といえます。

でも、それがなんだというのか。たしかに「役に立つ」し、「意味」もあるし、日本の環境技術が自分たちの犠牲の「おかげ」で発達したとしても、だからどうしたというのか。起きて(起こして)しまった水俣病に「意味」を見出し「役に立てる」ことは、マイナスに積極的な意義を付与する最低限の営みだけれども、それによってマイナスが埋まるわけではない。

〈鎮魂〉の視点が欠けているのです。そのやり場のない思いを掬い取り、共感と理解によって慰撫する視点が。そして、この絶望的な欠落を埋めるのが文学であって、そこには文学が、石牟礼道子の『苦界浄土』が、ぜったいに必要なのです。

「銭は一銭もいらん。そのかわり、会社のえらか衆の、上から順々に、水銀母液ば飲んでもらおう。上から順々に、四十二人死んでもらう。奥さんがたにも飲んでもらう。胎児性の生まれるように。そのあと順々に六十九人、水俣病になってもらう。あと百人ぐらい潜在患者になってもらう。それでよか」

実際に会社のトップが水銀母液を飲んで水俣病患者になることは、被害者を、非道な加害者と同じレベルに堕さしめるという意味で、解決にならないのだけれども、患者のこの思い、恨みは、何かのかたちで共有(あるいは成仏/鎮魂)されねばならない。実際に水銀母液を飲ませるのではないけれど、「水銀母液を飲ませたいほどの思い」を人々が共有することは必要であり、それはやはり、文学にしかできないのではないでしょうか(もちろん宗教でもできますが、文学は信者じゃなくても共有できる)。

虚構によってはじめて、ホモ・サピエンスは(社会学的限界を越える、見ず知らずの人々との)協働作業が可能になったとの見解(『サピエンス全史』)が正しいとすれば、水俣病によってバラバラに分解した人間社会を統べるのは、文学という虚構によるしかないし、社会は、この虚構抜きには、そもそも成立不可欠なのではないでしょうか。

もちろん、虚構は文学に限らない(国家、法、貨幣、宗教など)から、人類共通の基盤を用意するのは文学に限定しなくてもよいのかもしれませんが、他の虚構とくらべて、その人々を結びつける力の、文学における特徴と優位性は、個別化・差異化による共有にあると思います。

見田宗介の卓見と譬えを借りると、男と女の差異を越えようとするとき、どちらも人間だから、とその共通性(上位概念)によって越える方法がある。一方で、そもそも男にも色々いるし、女にも色々いるから、男女差よりも個人差の方が大きい、と個人の差異を際立たせることによって、男女という対立軸を無力化する越え方もある(「差異の銀河へ」『定本5』)。

文学というのは、法則による普遍化ではなく、個別的な事象の描出、すなわち個に即した差異化によって、逆説的に、個を超える――つまり差異化による共有というものを、原理として持っているのではないでしょうか。水俣病を、イタイイタイ病などとともに、公害というカテゴリーに布置することで解決を図るのではなく、文学は、一人一人の生に肉薄することで、そのかけがえのない一回限りの、個別の、一般化などけっしてできない苦しみを見つめることで、人間としての共通の基盤に立つ。

もちろんこれは「苦しみ」に限らず、作品によって、一回限りの「よろこび」、一回限りの「とまどい」等になるのですが、差異化、個を見つめることによる共有こそ、文学にしかできないはたらきではないかと思います。

そして、この差異化によってつながる、という方法は、異文化理解の根幹ともいえます。外国と日本をくらべて、同じだね、とばかりいっていては仕方がないわけで、ちがうね、と差異を見つめることによって本質的な理解にたどりつきます(みんなちがって、みんないい!)。

そして、その異文化とは、空間軸だけではなく、時間軸においてもしかり。つまり、江戸に即した江戸理解とは、同じだね、という個を捨象した安易な共通性を見出すことにとどまらず、ちがうね、と差異化による本質的な理解をうながし、自らのよって立つ地盤を根源から疑う(自明性の罠からの解放)ことで、江戸を理想化することとも、現状を全肯定することとも異なる、第三の道を開くことにつながるのです。

なんてことを、見田宗介から受けた刺激を自らに引きつけて、つらつらと考えておりました。見田宗介、すごい。

【追記】
冒頭の寓話、斎藤幸平さんが『ゼロからの『資本論』』 (NHK出版新書)で紹介されていて、おお、となりました。やっぱり人の世の真実をついた話ですね。見田宗介から導かれてたどり着いた異文化理解としての古典享受という視点は、やはり拙著『大才子 小津久足』の根幹をなしており、またぼくが研究・教育するときの基本的な姿勢となっています。

http://hishioka.seesaa.net/article/a42237989.html

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