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京都、大原、三千院抜き、その2

阿弥陀寺からまた街道を引き返して、久足は勝林寺に向かいます。

この勝林寺は「証拠の弥陀」とて大原問答の時うなづかせ給ひし御仏なりとか。御名は俗に聞えたれど、所のさまは甚雅地にて、ものさびたり。
  御仏のそれにはあらぬ山彦をあかしとたのむほととぎすかな

『青葉日記』天保十三年四月二六日
勝林院

ここは再訪で、『月波日記』でも「こゝも山かたつきたる所にて、いとものしづかなるがうへ、しかもよき寺なり」と気に入っています。基本的に閑寂な趣を好みますね。

さて、その次に赴いたところが、ちょっとややこしい。

この寺にとなりて融通寺といふ寺あり。この寺もいとものさびて幽邃の地也。庭に花・紅葉、木立おほく、入口にはしのかゝれるさまなどよしありて、春秋のさまもゆかしく、甚心にかなへる地なり。

『青葉日記』天保十三年四月二六日

この融通寺というのが何を指すのか、ちょっと判断がむずかしいのです。いまその名前の寺はなく、隣にあるのは実行院宝泉院なのですが、これは当時、勝林寺の塔頭だったようなので、ちがうでしょう。

実行院の庭
宝泉院の五葉の松

『都名所図会』では、以下のように出てきます。

融通寺は来迎院村のひがしにあり。本尊は阿弥陀仏の座像にして、湛慶の作なり。開基良忍上人の像あり。
魚山来迎院は融通寺の東に隣る。本尊は三尊にして、中央は薬師仏、開基は良忍上人也。(後略)

『都名所図会』

「魚山来迎院は融通寺の東に隣る」とあり、のちに見る来迎院の隣だとわかります。で、絵を見ると、たしかにあります。

「大原・勝林院・来迎院・融通寺・音なしの滝・呂律川」(国際日本文化研究センター「平安京都名所図会データベース」)

これでいうと、いまの浄蓮華院を指すのかな、などとも思いますが、(いまの)勝林院の隣ではないですし、「この寺もいとものさびて幽邃の地也。庭に花・紅葉、木立おほく、入口にはしのかゝれるさまなどよしありて、春秋のさまもゆかしく、甚心にかなへる地なり」という記述も、「入口にはしのかゝれるさまなどよしありて」というのは、『都名所図会』の絵には合致しますが、どうも(いまの)浄蓮華院の説明にはうまく合わないような。

どなたか、ご存じの方がいらっしゃいましたら、ぜひご教示ください。

さて、つづけて久足は勝手神社に参り、薬師堂(来迎院)に至ります。

ちなみに、勝林院→融通寺→勝手神社→薬師堂(来迎院)という道順からしても、やはり久足のいう融通寺は浄蓮華院ではないのかなぁ。あるいはいまの三千院の敷地内にあったのかもしれません。

勝手御社といふにまうで薬師堂(*来迎院)といふにいるに、庭に桜ありてよき寺也。このおくに聖応大師廟といふがありて、五重(*三重)の石の塔ものふりたり。

『青葉日記』天保十三年四月二六日

勝手神社は、三千院の隣ですが、三千院を一端出てから、細い道を抜けて向かいます。

勝手神社への細道
勝手神社

そして薬師堂(来迎院)です。三千院およびその門前は観光客でごった返していますが、来迎院に向かう人はほとんどおらず、まことに閑寂で心地よいです。

来迎院への道
苔むす石階
来迎院

「このおくに聖応大師廟といふがありて、五重(*三重)の石の塔ものふりたり」という石の塔も、五重ではなく三重ですが、ちゃんとありました。

三重石塔(来迎院)

さて、そこからさらに山の奥に向かうと音無の滝です。

そこより三丁ばかりも山のおくにわけ入て、音無の滝をみるにそのさま名もしるく、はげしからでなだらかに、いさぎよき滝のさまなり。
  音なしの滝の名をしもさるかたにとりなしがほのほとゝぎす哉
  音なしの滝のながれにとゝのへるしらべあやしき山川の水
 かくよめるは、その下なる谷川を呂律川といふによりてなり。

『青葉日記』天保十三年四月二六日
音無の滝

滝にいたるまでの道は、楓の青葉が心地よいです。

さて、そこから久足は引き返します。

山みちをかへり炭やき地蔵(*阿弥陀石仏)といふを見る。こは売炭翁が信ぜし仏なり、といひて、大きなる石仏なるが、地蔵ぼさちとも見えず、異相にて、ふとき木のかれたる根にはさまれたるさま、あやしくふるく見ゆ。
実行院といふ寺のうしろにいたり、後鳥羽院の陵を拝し奉る。御しるしは十三重の石の塔なり。
  かしこしなおきのしまべにさわぎけん波になごりをこゝにのこして
 順徳院の陵もこの大原にありぬべくおもはるゝを、べちに陵なし。もしはこの塔の下に合葬し奉りけるにや。

『青葉日記』天保十三年四月二六日

この「炭やき地蔵」と称されているのは、いまは三千院の敷地内にある石仏です。

石仏

「こは売炭翁が信ぜし仏なり、といひて、大きなる石仏なるが、地蔵ぼさちとも見えず、異相にて、ふとき木のかれたる根にはさまれたるさま、あやしくふるく見ゆ」と、久足は当地の言い伝えを記しつつも、きちんと価値を判断している様子がうかがえます。しかし、木の根はないので、やはりいろいろ変わっているのでしょうね。

ちなみに、いま三千院は、わらべ地蔵やらで「ばえ」を狙って、まんまと成功しているようです(ぼくもつい撮ってしまう)。

わらべ地蔵
わらべ地蔵

「実行院といふ寺のうしろにいたり、後鳥羽院の陵を拝し奉る。御しるしは十三重の石の塔なり」という、十三重の石塔も健在です。

十三重石塔

この実行院を出、橋をわたれば並木の桜長くつゞきて、青葉のさまもをかし。融通寺薬師堂の桜もあるに、このあたりの花は、むれつゝ来る人もなかるべし。かへすがへすも春ゆかしくおぼゆ。このあたりに熊谷蓮生坊がなたすて藪といふもあり。

『青葉日記』天保十三年四月二六日

これはいまの三千院前をさすのでしょうか。どちらかというと楓がきれいでした。「熊谷蓮生坊がなたすて藪」もちゃんと伝わってます。

三千院前
鉈捨籔跡

ちなみに京都を巡っていて思うのは、桜も紅葉も観光の目玉として多くの人を呼び寄せるものですけれど、パッと咲いてパッと散る桜にくらべ、紅葉は期間もながく、また「青もみじ」といって若葉も売りにできますから、観光資源としては紅葉の方に軍配が上がるのかな、と。

心なしか、久足が桜がすばらしい、といっているところでも、どちらかというと楓が目につく気がするのですが、あるいは観光戦略で桜を楓に植え替えたりしているのかな、なんて根拠もなく考えてしまいます。

さて、そのまま帰路につくかと思いきや、もうひとつ寄り道をします。

 来迎院村といふをすぎ、大長瀬村といふに出れば若狭街道にて、みちひろし。此村の山に惟喬親王の御旧跡ありときゝしかば、さと人にとふに、「そはしかじかのあたりにて、しれやすし。このほどは田うゝるほどにていそがしければ、案内する人はなかるべし」といへど、道にかよひなれたる心にくらべて、しれ安しといふは、里人のならひにて、そのみちかならずしれにくきものなれば、あなぐりもとめて案内者をたのみ、左のかたの細みちに入る。
 そのみちのほとりに、としごとの六月十五日には、遠近より人々つどひきて水をくみとり、その水にて病をいやすといふ井あり。こは人家の庭にて垣の外よりよくみゆ。
 三丁ばかりもゆき、いさゝかのぼりたるところに親王の御石塔といふがありて、いとものさび、あたりに御霊社といふ小社もあり、としどし村よりたてたる卒都婆に御名をもしるしたり。この下なる田の字に御所のうち・御所の馬場などいふ名のこりて、むかしの御所の跡なり、と今にいひつたへたりとぞ。「わすれては夢かとぞおもふ」と業平朝臣のよまれしも、このあたりにや。

『青葉日記』天保十三年四月二六日

こちらはGoogleマップさまさまで、ちゃんとたどり着けますが、たしかに「しれ安しといふは、里人のならひにて、そのみちかならずしれにくきものなれば」というとおり、独力ではたどり着けないでしょう。ここで案内者を雇うのも、旅慣れた久足ならではですね。

惟喬親王墓

さて、大原を歩き回ってさすがにくたくたになり、バスに乗りました。

しかし久足は、三条大橋から大原まで、八瀬を通ってやってきたうえで散策し、さらにまた八瀬を通って帰るのですから、健脚にもほどがあります。

 さて、けさわかれし江文明神の鳥居のほとりにて、おなじみちにゆきあひて八瀬の村々をすぎ、高野にいたるほど日はくれぬ。けふのみちに大原まで三里半とはいへどほどゝほく、古知谷をはじめ、ところどころみめぐりしかば足つかれぬ。かへさのみちはすみやかなるかたもあれど、心にかけたるところどころみつくして後は、たのしみなくなりつゝ、つかれも一時にいできてものうきに、よるのみちたどたどしきのみかは、水せきいるゝほどにて、みちに水のあふれたるあたりも有しかば、ぬれたる足はますますおもくなりなどとして、くるしさいはんかたなし。ひさしく雨ふらぬは地かたくなりつゝ、それにも足はつかれけん。雨衣とりいださねば、はたかゝるうれへあり。とにかく晴雨のことをわりなくいふが旅のならひなりけり。
 山はなにいたるほど、蛍のこゝかしこにとびかふさまいとをかしくて、しばしつかれをわすれぬ。
  岩ばしる川瀬の音はくらき夜に玉ちるものは蛍なりけり
 かくて加茂川つゝみをくだり、酉の刻すぐるほど宿にはかへりぬ。

『青葉日記』天保十三年四月二六日

「かへさのみちはすみやかなるかたもあれど、心にかけたるところどころみつくして後は、たのしみなくなりつゝ、つかれも一時にいできてものうきに」って、そりゃそうでしょうよ。

いや、この行程を歩きつつ、要所要所で思いに耽る感性のみずみずしさと、こと細かに記録する知性の強靱さを失わないのは、見事としかいいようがありません。

しかもこれは、たった一日分で、紀行文中、ずっとこうしているんだからなぁ。いや、ギフテッドです。

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