見出し画像

正明寺から石塔寺へ

京都滞在のご挨拶もかねて、彦根在住のAさんのもとへ。となれば、近辺の「久足史跡」(なんてね)を訪ねなければ。

そこでJRと近江鉄道を乗り継いで日野駅に降り立つ。日野商人のいとなみをしのびつつ町並みを歩き、日野商人館などに寄りながらも、目当ては正明寺です。

日野村より八丁といふに松尾村といふにいたれば、こゝも山王社ましませり。そのみまへよりすこしゆきて正明寺といふにまうづ。入口に下馬札たちて、おくぶかき門にいれば、本堂は唐破風づくり檜皮ぶきにて、しき瓦はなく、黄檗宗には似げなきつくりざまなり。何くれの堂もならびたちて、額聯などの文字は隠元禅師をはじめ、木庵・龍渓・即非・高泉・千獃・晦翁・華頂などの筆にて、とりどりをかしく見ゆ。そもこの寺は、後水尾法皇の御ゆえよしある寺にて、御尊影もましますよし。「正明寺」などある額は勅筆とうかゞひ奉らるれど、下乗石なければさにあらざるか。本堂のうちに「天寿」とある額のかゝれたるところあり。そのおくは何を安置せるかうかゞひがたし。晦翁和尚はおなじ法皇よりかしこくも法をつぎし人にて、この寺にすまれしなりとぞ。さるゆゑよしもしるく、所に似つかはしからぬまで殊勝の浄刹也。をりから午時のつとめいとにぎはしきもとふとく聞ゆ。
  こゝにしも君がみかげはとゞまりて法の光となりにけるかな

『青葉日記』天保十三年四月十五日

ここでいう山王社というのは、井林(いばやし)神社で、折しも祭りの準備の最中でした。

井林神社

そこから歩いてすぐ、正明寺です。

気持ちのいい参道を通って門にいたりますが、閑寂ないいお寺ですね。久足のいう額もしっかり残ってます。

正明寺への参道
正明寺
木庵筆の額

「そもこの寺は、後水尾法皇の御ゆえよしある寺にて、御尊影もましますよし」とありますが、やはりここでも後水尾への尊崇の念を示してますね。

さて、ここから歩いて石塔(いしどう)寺へ行こうというのが、今回の旅のメインです。およそ歩いて2時間弱の道程のはず。

この寺(*正明寺)のうら門をいでゝ山みちにかゝり、やゝゆきて左のかたに相生の松あり。安部井村といふにいたれば、まる山といふ山ちかくみゆ。中在寺村といふを過、川をわたるは多賀街道のをぶさ川といふ川の水上なりとぞ。蓮花寺村といふをすぎ、石塔村といふにいたる。このあたりの人家の軒に田船をかけたるをみるに、かたち甚をかし。

『青葉日記』天保十三年四月十五日

なんてことのない記述ですが、こういうルートこそ、追体験したいですね。

すべてのんびりした田舎道を予想していたのですが、石塔寺からの細道を抜けると、すぐに工場団地があり、大型トラックが行き交う大動脈があって面食らいます。そういえば、水が豊富で地の利のいい滋賀県は、意外に工業県で、有名企業も多いんですよね。まあ、道というのは合理的なものですから、むかしの道がいまも大動脈として活躍しているのは、無理もないこと。とはいえ、風情もなにもあったものじゃありません。

しかし、旧道がいまのバイパスと重なる道をちょっと外れると、誰一人歩いていない田舎道です。これが気持ちいいですね。

折しも桜の季節、満開の桜を独り占めです。

久足は、「地獄越」(また紹介します)を前にして、次のような感慨を漏らしますが、京都のすばらしい桜に感嘆しつつも、「有名ではない」けれど、見事な桜なんて、全国いたるところにあるわけで、いろいろ考えさせられます。

又この山の景色などは、かならずよに名あるべきことわりなるに、昔より人の詞にもゝれたるは、くちをし。おほかたの山水も、畢竟は名ある人にめでられてこそ、世に名もあらはるれ、名ある人の詞にもれたる名山水のなきにはあらねば、むかしより聞えぬあたりをとらざるは、かたくな心なり。その名ある人も天下に足跡あまねきは、はたすくなければ、おほやけにはあらず。これをおもへば、偶(遇)不偶(遇)は人のうへのみにもかぎらぬ世なりけり、など益なきことゞもゝおもひつゞけられて、しばしけぶりをふく。

『青葉日記』天保十三年四月十九日

さて、そんなことを思いつつ田舎道を歩いていると、お目当ての石塔寺です。

 さてこの村のおくに石塔寺といふ寺ありて、「阿育王山」とある額かゝり、本堂には観世音ぼさちましませり。この寺の門のほとりより見あぐるばかり高き石階をのぼるに、およそ三十階あまりありて、のぼりつくしたるうえの山に石の塔あなるが、三重にして甚ふるくあやしきもの也。うへの五輪ばかりは後につくりそへたるなるべく、そこばかりあたらしく見ゆるは、おぎなはざるかたなかなかよろしきやうにおぼゆ。この塔は『拾芥抄』に「蒲生石塔」と見えて、ふるくその名聞えたり。しるべのをのこは、天よりふりしもの也といふよしいへど、天よりふれりといふたぐひ、よにおほき空ごとなれば、もとよりうけられず。
  あもりつくそのよがたりはしらねどもたゞにはあらぬ石の塔かな
  音にのみきゝわたり山たづねきてけふぞめにみる石のあらゝぎ
 応永のころの僧玄陳といふがあらはせる『三国伝記』といふ書にこの塔のこと見えたれど、「高三尺五寸」とあればたがへれど、「わたり山」てふは、その書にあるをおもひ出て也。わたり山といふ山は永源寺みちにもあれど、そは同名異所なるべし。ある説に、この石塔は日本三奇の一にて、丹波国の高卒都婆とこゝと今ひとつはいづれやらん、といへることもかねてきけり。又おなじさまの石の塔今ひとつさめといふあたりにあれど、人跡まれにて行にくきよし、しるべのをのこいへり。その『三国伝記』にあるつたへも甚うけがたけれど、阿育王のこと猶あれば、山号は『拾芥抄』にみえたる趣にもかなへるやうにおぼゆ。
 さてこの石の塔のほとりたかくしてみわたしもよければ、しばしいこゆ。こゝまでのみちは先正明寺より中在寺村まで一里、その中在寺よりこゝまで一里あれば、かいがけよりは三里なり。

『青葉日記』天保十三年四月十五日

「この寺の門のほとりより見あぐるばかり高き石階をのぼるに」という階段が、これ。

石塔への階段(石塔寺)

そして登り切ったところで目にした光景は、圧巻でした。

石塔(石塔寺)

周りには、何万ともいわれる五輪塔があり、それも相俟って、息をのむような光景です。

写真じゃサイズ感が伝わらないかもしれませんが、約7.5メートルもあるんですよ。

石段をのぼりきると巨大な花崗岩製の三重塔(国重文)がある。高さ7.5mのこの塔は7世紀後半の造立とみられ、石塔としては日本最大かつ最古の遺品である。

『滋賀県の歴史散歩 下』
石塔(石塔寺)

ちなみに久足は「うへの五輪ばかりは後につくりそへたるなるべく、そこばかりあたらしく見ゆるは、おぎなはざるかたなかなかよろしきやうにおぼゆ」と書いてますが、たしかに補ってますね。

石塔の五輪部分(石塔寺)

しかしその後補も久足が見たと思うと、感慨深いものがあります。

石塔寺、久足に導かれなければ一生行かなかった可能性が高いですが、おかげさまで、よい経験ができました。

それから桜川駅まで歩き、近江鉄道で彦根へ。彦根では、Aさん宅でたいへんなごちそうをいただいて、旧交を温めつつたのしい時間を過ごすことができました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?