上手にできないことを笑いながら見せてくれた父

父はスキップができない。
なぜか、2ステップになってしまう。
何回教えてもできなかった。
私が5歳の時、本気で教えようと父に特訓した。
本人も一生懸命なのに、やればやるほど2ステップのキレが素晴らしくなり2人で大笑いしてしまった記憶がある。

私は父が好き。
働き者で
人を差別しない
悪口は本人の前で堂々と言う
スキップができない
オナラはなぜか恥ずかしいと影でしているようだ。
父のオナラを誰も聞いたことがない。
悲しいことがありすぎた人生だから、今後は笑って生きると決めたんだと言いながら、怒り出すと手がつけられない。
笑点が好きで、正座して缶ビール片手に笑ってる。
晩年は、子どもたちに手をあげてしまった過去を心から後悔していた。
ごめんね
ごめんねと何度も言ってた。
もう、謝らなくて良いよ、と私が言ったら何言ったと思う?!

いやぁ、謝るって良いなぁ。
父さんの父さんは死ぬまで俺に謝らなかったんだよ。
さんざん殴られたのに。
俺は謝れる親になれたんだなぁ。
ごめんねと言わせてねー
ごめんね、ごめんね。

なんだか気持ち悪くなり、マジでやめて!と怒鳴ったらそれ以降は言わなくなった。

謝るってことは、許しを乞うことや理解を乞うことにつながってはならない。

暴力をした親は、ごめんなさいと言うことしかできない。
許すも許さないも、理解するもしないもそれは子どもが決定権ある。

今の心境になれたのは父が死んで10年経って私が虐待のトラウマを乗り越えたからだと思う。

祖父も父も暴力の連鎖の中で生きてきた。
私は自分でその連鎖を止めた。

個人史の中で革命的なことだ。

暴力を止めること
自分を愛すること
子どもを尊重すること
孫と対等に信頼関係つくること
友は少なくていいから長くつきあいお互いの人生を支え合うこと
地球のことや環境問題に取り組みできうることを行動すること
すべての抑圧に眼を背けずに、学びながら抑圧側に回る生き方をしないこと
闘いに疲れたら逃げること
食べすぎずに、時々空腹でいること
体の声を聴くこと
休息して立ち止まること
時々、走ってみること
毎日、笑うこと

父はうまくできない事を見せてくれた。
スキップ姿を急に思い出した。

大人は、若い人たちに挑戦する姿を見せた方が良い。
しかも、下手な方が良い。

それが本気の姿ならば若い人たちは、応援してくれる。

嘘くさい芝居は見抜かれてます。

私が子どもだった頃、ほんとに好きな大人はいつも生きづらそうにしてたけど努力をしていた人たちだった。

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