見出し画像

「名言との対話」10月25日。原口統三「驚くものを詩人と呼び、驚かぬものを批評家と呼ぶ」

「名言との対話」10月25日。原口統三「驚くものを詩人と呼び、驚かぬものを批評家と呼ぶ」
原口 統三(はらぐち とうぞう、1927年1月14日 - 1946年10月25日)は、日本の詩人。『二十歳のエチュード』の著者として知られる。
ソウル生まれ。大連一中を経た後、旧満州国を転々とする。一高文科に入学。。先輩の清岡卓行、そして橋本一明、中村稔らと付き合う。
一高3年に在学中の1946年10月2日に自殺未遂。10月15日逗子海岸で入水自殺。
生前の原稿は、橋本によって編集され、1948年に『二十歳のエチュード』として刊行された。原口は「夭折の詩人」として人気があり、この本はその後も版を重ねている。
友人の清岡は、詩人、小説家として活躍し法政大学の教授となり83歳まで生きている。橋本はフランス文学者となって国学院大学の教授となったが42歳で没している。また中村は同じく詩人であるが、職業は弁護士となった。詩人としては文化功労者だ。現在の時点では96歳で存命されている模様だ。一方、原口は19歳で自殺をしている。
『二十歳のエチュード』を読んでみた。この本は、原口から、橋本一明君へのメッセージと言う形をとっている。清岡さんという名前がよく出てくる。また橋本、中村の名前もある。
そして詩人のランボーを中心に多くの詩人、哲学者、文学者が登場する。また東洋で論語老子も出てくる。原口はこれらの人たちと会話をしているのだ。以下、登場した名前をあげてみよう。
バレリー。ユーゴーパスカルボードレールフローベールベルグソン。カント。フィフィテ。ヘーゲルショーペンハウエル。シュペングラー。ニーチェドストエフスキー。ポォー。ショパン。リスト。モーツァルトドビュッシー。バッハ。ソクラテスプルーストゲーテ論語エピクロス孔子。ルナアル。コペルニクス。クロオデル。中原中也漱石森鴎外パスカルトルストイ。また神話、プロレタリアートアメリカ、ロシア、ギリシャ文化。、ニヒリズムデカダンスカトリック教、永劫回帰、悪魔、ハムレットなどの言葉もでてくる。西洋を中心に膨大な本を読み込んでいる。
「驚くものを詩人と呼び、驚かぬものを批評家と呼ぶ」
「真の詩人は詩論を書かぬものであり、真の信者は信仰を説明しないものである」
「いかなる思想も、なんらかの「妥協」の衣を着せて提出しなければ通用しない」
「精神のより真奥を目指して進むものは、より「生きること」から遠ざかるのである。」
自画像が書いてあった。「一高の生徒としての僕。ーーーフランス語は優等生。操行は劣等性生」。また、自殺についても述べている。「自殺を決意する僕を批判するのに、生きようとする「処世術」を持ち出すのは、いささか見当はずれだ。処世術を破壊し拒否する男に処世術の枠をはめ込もうとしてもだめである」
この本の言葉は難解であるが、不思議な強いメッセージ性がある。高く評価され多くの人を魅了した。感化された詩人の長澤敦子はこの本の発刊から1年後に、17歳で自殺している。強い影響力の詩人だった。
1946年10月1日赤城山で書いた文章がある。それは自殺未遂の前日の文章だった。「僕はもう自分を誠実であったとも言うまい。沈黙の国に旅立つ前に、深く謝罪しよう。「僕は最後まで誠実ではなかった」と。」
原口統三の言葉では、「驚くものを詩人と呼び、驚かぬものを批評家と呼ぶ」を採りたい。これは、作曲家と批評家、革命家と評論家という対比と同じである。詩人、作曲家、革命家たちは銅像が建つが、批評家、評論家には銅像が建つことはない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?