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5月29日。 原貢「優勝旗はファイトがあるほうにいく」

「名言との対話」5月29日。原貢「優勝旗はファイトがあるほうにいく」

原 貢(はら みつぐ、1936年3月30日 - 2014年5月29日)は、アマチュア野球指導者。

福岡県立三池工業高等学校野球部監督に就任。練習時間の7割を打撃練習い割き、スクイズではなく外野フライで点をもぎとる野球をめざした。この無名校を初出場にして高校野球全国大会優勝(1965年)を果たす。東海大学総長松前重義の招きがあり「都で一度勝負がしたかった」「都に旗をひるがえすぞ」と、1966年(昭和41年)からできたばかりの東海大学付属相模高等学校の野球部監督に就任。優勝1回・準優勝1回。1977年(昭和52年)より息子の原辰徳の進学と共に東海大学硬式野球部監督に就任し、「東京六大学と東都をぶっ倒し、首都が大学野球の主役になるんだ」と激を飛ばす。首都リーグでは13回の優勝。明治神宮大会で2回、大学選手権1回の準優勝を果たした。

「野球も人生も勝たないかんばい」「野球場を見れば、チームの力量が分かる」「指導者はハートが大事。魂を込めて信念を貫け」「ボールが体に当たると痛いということを知るのが、野球の出発点なんだ」「大事な順番は、心体技」「投手と打者はやるかやられるかの真剣勝負なんだ」「日本の野球は武道の野球だよ」「野球は人間性だぞ」(大塚晶文へ)

息子の原辰徳は巨人の4番打者に育った。その辰徳は引退時には「巨人軍の4番打者には何人も侵すことが出来ない聖域がある。今日、私の夢は終わります。しかし私の夢には続きがあります。」と挨拶した。その夢とは巨人軍の監督である。「僕の描く“監督像”の原点は、もう一人の「原監督」にある」とし、リーグ優勝7回、日本一3回を果たした。そして、2019年からまた巨人軍の指揮をとっている。原辰徳へは「床について考えごとをするな」とアドバイスしている。そして辰徳の妹の息子・菅野智之投手の活躍も目覚ましい。原貢は「俺の孫を必ずドラフト1位で巨人に入れてみせる」と言っていてその通りになった。菅野へは「野球も人生も、絶対に逃げちゃいかん」とアドバイスをしている。菅野は6年間で76勝を上げ、通算防御率は2.17。MVP1回、最優秀防御率4回、最多勝利2回、最多奪三振2回、沢村賞2回、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞3回。日本一のピッチャーである。菅野は「ピッチャーとして大切なことは、すべて爺ちゃんから教わった」と述懐している。

原家3代にわたる野球道は、今なお発展途上にある。その原点は原貢というファイターにある。高校野球を変えた男と称賛されたケンカ野球一代の信念と執念は、日本のプロ野球界も変えたのである。夢にはまだ続きがありそうだ。その夢を楽しもう。


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