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「名言との対話」3月4日。半村良「地図でカミソリで裂け目を入れて出来た楕円の空間に架空の土地を作れば、それがすごくリアルになるんだ」


半村 良(はんむら りょう、1933年10月27日 - 2002年3月4日)は、日本の小説家。

銀座もの、新宿もの、などの現代風俗小説と、季節感に彩られた「浅草案内」などの下町もので知られる。職業は「嘘屋」と称した半村良は「伝奇SF小説」と呼ばれるジャンルを開拓した。

高校卒業後、紙問屋の店員、プラスチック成型工、バーテン、板前見習い、コック見習い、喫茶店やバーの経営者、クラブ支配人、連れ込みホテルの番頭、肉の仕入れ、ビリヤードの支配人など、水商売を中心に転身を繰りかえした。そしてラジオの構成作家、広告マン、、、、なども経験する。

30歳、日本SF作家クラブを発足し、事務局長。37歳、本格的な作家活動を開始。1975年42歳、SF作家としては初めて直木賞を受賞したが、授賞対象となったのは人情小説『雨やどり』であった。1988年55歳、『岬一郎の抵抗』で日本SF大賞を受賞。架空戦記の源流でもある『戦国自衛隊』は、1979年に映画化され、2005年にも『戦国自衛隊1549』としてリメイクされた。半村良が描いた分野は広大で無辺だった。

「実はSFってすごい土着的なものだった」という半村良は、小説の構成や形にこだわった作家だった。マンション38世帯の住人を描いた『湯呑茶碗』、芝居の評価を意識して描いた『講談 碑夜十郎』、同じ場所に視点をおき庶民の年代記をつづった『葛飾物語』、雨のひばかりのエピソードを重ねた『雨月物語』、、、、、。昭和40年代から平な成へと壮大なロマンを完結させた『妖星伝』は、思想性において唯一『大菩薩峠』に匹敵する索引という評価もある。

締め切りをまもった作家でもあった。注文があると先に原稿用紙にノンブルを打ってその枚数まで書いた。後に歴史に興味を持って楽しんだが、腹が立つ。「こんな面白いものを、よくもまああれほどつまらなく教えてくれたもんだ」。独学の人・半村良は、しかし独学だと友達ができない。だから大学に行くのがいいと語っている。その半村良は邪馬台国については宇佐説をとっていた。新宗教がどんどん入ってくる国東半島が大きな聖地だったという単純で明快なな理由だった。弟は自伝的小説『塀の中の懲りない面々』など作家の安部譲二である。

99%は徹底した真実を描く。その残りで嘘をつくという手法だった。土地の植生、その日の天気、など十分な仕込みをして、地図の切れ目に、独自の秘境をつくりだすのである。だから、その嘘に読者はさわやかにだまされる。

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