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「名言との対話」 8月17日。高見順「人間がそのなかで生きてきた歴史、人間がそのなかで生きている地理」

高見 順(たかみ じゅん、本名・高間芳雄、1907年1月30日 - 1965年8月17日)は、日本の小説家、詩人。

福井県生まれ。1908年、母ともに上京。一高に入学し同人雑誌「廻展時代」を創刊する。東京帝大文学部に入学し左翼芸術同盟に参加し、治安維持法違反により検挙される。1935年、28歳から文筆業に専念し、「故旧忘れ得べき」で第1回芥川賞候補となる。年表をみるとこの年に文芸春秋に「起承転々」を発表とある。童門冬二の座右の銘はここからとったのだ。精力的に作品を発表していく。51歳では日本ペンクラブ専務理事に就任している。また55歳では伊藤整らと日本」近代文学館設立準備会を発足させ、2年後に菊池寛賞を受賞しているなど文学界のための仕事にも熱心だった。日本近代文学館の貴起工式の翌日に死去。葬儀は日本文芸家協会、日本ペンクラブ、日本近代文学館の三団体葬だった。

代表作は「わが胸の底のここには」「故旧忘れ得べき」「「如何なる星の下に」。詩人としても活躍し詩集「わが埋葬」「死の淵より」などがある。

今回読み終えた「わが胸の底のここには」(講談社文芸文庫)は、40歳の時点での回想録である。出生から府立一中時代までの自伝だ。島崎藤村の「わが胸の底のここには 言ひがたき秘密(ひめごと)住めり」のように、自身の「秘密」をめぐる告白である。恥ずかしい過去をさらけ出したのだ。その核心は高見が「私生児」だったことに起因している。高見は成功した父とは終生会うことはなかった。

この本は「その一 私に於ける恥の役割について」「その二 私に於ける暗い出生の翳について」「その三 私に於ける羞恥と虚栄について」から始まっている。

島崎藤村(1872年生)の「わが胸の底のここには、、」という短歌から高見順(1907年生)は本の題名を決めている。そして高見順の「起承転々」という作品のタイトルを童門冬二(1927年生)が人生の指針としている。そしてその「起承転々」という考えに感心し使っている私(1950年生)がいる。人は一つ前の世代の先人から学びながら生きていくのだと改めて思った。

2020年8月25日の新聞によれば、現代詩人を顕彰してきた「高見順賞」(高見順文学振興会主催)は、50回の節目で幕を閉じることになった。

高見順の「歴史と地理」についての「人間がそのなかで生きてきた歴史、人間がそのなかで生きている地理」という説明は含蓄がある。「構造と関係」を主眼とする図解コミュニケーションの思想からいえば、人間の過去の歴史は構造的理解が必要であり、人間の現在の地理は関係的理解が必要であると言えようか。

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