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「名言との対話」3月30日。阿部真之助「恐妻とは愛妻のいわれなり」

阿部 真之助(あべ しんのすけ、旧字体:眞之助、1884年(明治17年)3月29日 - 1964年(昭和39年)7月9日)は、明治から昭和にかけて活躍したジャーナリスト、政治評論家、随筆家。

埼玉県熊谷氏生まれ。旧制二高、東京帝大文学部社会学科卒。満州日日、東京日日、大阪毎日を経て、1929年から東京日日新聞で勤務し主筆にもなっている。

学芸部長時代には新しいことを企画し実行している。学芸部顧問制度で菊池寛、社友制度で久米正雄らを起用。「実力名人戦」を企画し、将棋名人戦、囲碁本因坊戦を始めた。女性作家書家を集めた「東紅会」の発足。

定年後。1953年、日本エッセイストクラブを創設し初代会長。1960年、NHK会長。1962年、NHK学園初代会長。1963年、「小さな親切運動」を提唱者の一人となる。。
阿部真之助の軌跡を眺め気づくのは、「初代」、「創設」、発足」などの言葉が並んでいることである。アイデアマンであり、実行力がすぐれていた証拠だ。筆名は野山草吉、これもユニークだ。
1948年発刊の阿部真之助『近代政治家評伝』(文芸春秋新社)を読んだ。装幀は恩地孝四郎、カットは木村荘八という豪華版。山県有朋から東条英機まで12人の政治家をぶった切っている。
「まえ書き」では、自分は固定した意見を持っていない、明治から戦後まで時勢への憚りがあって思ったことを言えなかったとし、そして「鰌(どじょう)がドロを吐くように吐き出し得たのは、鰌と共に生涯の快事とするのものである」とある。そのドロはどのようなものであるか。
山県有朋「天皇をデクノ坊化し、その権益を軍閥の手に納めようとした」「偉大なる権勢欲の固まり」
星亨「政界の不正事件に関係を持ち、世間から疑惑をもたれた政治家」「女淫の戒律を厳守」
原敬「偉大なるオポチュニスト」「御都合主義」「立身出世になりさえすれば」「恐妻病」
伊藤博文「スケベイの域」「インチキ馬喰の親方のようなもの」「初物食いだ」「才智の割合に、意志力の弱い」
大隈重信「才能が、野天掘りのできる炭鉱のように露出」「不平文子を糾合」「「スリこみ、取り入り」「猫のごとくにもなり、虎のごとくにもなった」「大冊を全部通読しやおうな顔つきで」
西園寺公望「意志薄弱な、御公家様政治家」
加藤高明「平凡なる草っぱら、、。山もなければ、河もなかった」
犬養毅「毒舌、反骨」「小男」「無勢をもって多勢にたち向かった」「ワイ談の骨法」
大久保利通「西郷との関係において、大久保は女性の立場」「人望といったら、カラ駄目」
桂太郎「脳味噌に宿った魂の低さ」
東条英機「中将どまりぐたい」「学校の通信簿を改竄」「やかまし屋」「道楽の一つ位、覚えておけばよかった」「恐妻病」
彼らを語る過程で、阿部自身の感慨や言葉がでてくる。「理論のない建築は、デザインのない建築だ」「品性と品行とは違う」「わが日本では、本質的にいって、イズムはなかった。時の情勢で保守とも急進ともなった」「時代も人も、風車のように廻る」など、実に味がある。
新聞記者・阿部真之助は、以上に人たちに接し、あるいは人から人物胆を聞いている。後代になって遠景になって人物を見るのとはわけが違う。ここは、徳富蘇峰の「近世日本国民史」にも通じる。私はNHK会長として名前を知っていただけだが、実に興味深い人物だ。
これらの有名な政治家の論評では、「恐妻」という人が多いのも面白かった。阿部自身も大宅壮一から「粗衣粗食粗マンに耐える男」と評されていた本を読んだ記憶があるが定かではない。阿部は恐妻家としても有名であった。自身は「恐妻とは愛妻のいわれなり」との名言も残している。

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