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「名言との対話」11月18日。徳田秋声「老年の不幸は、友人がなくなることと、死の近づくことだろうが、しかし大自然のなかに生きている寂しさを味わいつめたものには、それも大した悲しみではない」

石川県金沢市出身。金沢三文豪の一人。尾崎紅葉門下の四天王の一人。島崎藤村田山花袋と並ぶ大家。明治・大正・昭和の三代にわたり常に文壇の第一線で活躍した人である。

弱者、庶民の生活を描く作風。『新世帯』、『黴』、『爛』、『あらくれ』、『仮想人物』、『縮図』などが代表作。

尾崎紅葉門下の重鎮、自然主義文学の大家、膨大な仕事をこなす流行作家、一時的な低迷期を経て復活を果たした充実した円熟の境地と、時代の風潮をにらんで創作活動を71歳で亡くなるまで50年以上にわたり続けた作家である。

2007年に徳田秋声記念館を訪問した。同時に金沢の三文豪である泉鏡花室生犀星の記念館も訪ねている。

川端康成は「日本の小説は源氏にはじまって西鶴に跳び、西鶴から秋声に飛ぶ」と発言している。鴎外も漱石もそこにはいない。「未熟な時代の未熟な作家」という見方であった。その漱石は、嘘がなく現実味があるが、フィロソフィーがないと批判的であった。

『新世帯』と『黴』を読んでみた。庶民の日常の男女の心理描写にすぐれている。確かに手練れの小説との印象を持った。

『日本文学全集9 徳田秋声集』の付録に「徳田秋声のことば 人生の光と影」から、以下の言葉を拾う。

自然や人生について。

・風物の微妙な感じは、冬なら冬、夏なら夏が、静かに春や秋と入れかわろうとしている時に、最も人を楽しませも、傷ませもする。

・人生も隅から隅までわかったら、私の利巧ではない人間は生きていられないかもしれない。

・またいいこともある。悪いことばかりはないもんや。

芸術について

・個人性を除外しては、芸術はほとんど成り立たないと言っていい。

・いくら骨を折って書いたところで、資質以上に大きくなることは容易なことではない。

感受性が極めて高いと思われる徳田秋声は「老年の不幸」は、「大自然のなかに生きている寂しさを味わいつめたものには、それも大した悲しみではない」と語っている。「味わいつめた」秋声という、人生と自然を見つめ続けた作家の最後の心境である。そういうものなのだろうか。


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