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「名言との対話」4月3日。田村正和「スタッフにこういう役をやらせたいと言われる役者でいたい」

田村 正和(たむら まさかず、1943年昭和18年〉8月1日 - 2021年令和3年〉4月3日)は、俳優。享年77。

京都市出身。成城大卒。阪東妻三郎の3男。17歳のとき兄・田村高広主演の「旗本愚連隊」に出演。1961年に松竹大船の専属となり、木下恵介監督「永遠の人」「今年の恋」などでスターとなる。のち「眠狂四郎」などのテレビドラマや舞台で活躍した。

兄・田村高広は阪東妻三郎の長男。父の急死を機にサラリーマンから転身し「二十四の瞳」などの木下恵介作品に出演した。「兵隊やくざ」シリーズ、「泥の河」などで好演。テレビ、舞台でも活躍。

阪東妻三郎は、近代的な性格の英雄像を演じ、時代劇革新の一翼を担った。愛称、阪妻(バンツマ)。代表作は「雄呂血」「無法松の一生」などがある。

田村正和は、デビュー以降、様々なキャラクターを演じ分けている俳優だ。1970年のテレビドラマ「冬の旅」で演じて以降、二枚目役で人気があった。1972年にはテレビの「眠狂四郎」など、陰影の濃い哀愁の漂う風貌で女性ファンが多かった。1978年の「若さま侍捕物帳」以降は、軽やかで明るい役柄に挑んだ。1983年には「うちの子にかぎって、、」では三枚目役で成功している。

1990年以降はダンディな役柄と同時に幅広い役柄を演じ、テレビドラマ界では大スターとなった。1994年から10年演じ続けた刑事ドラマ「古畑任三郎」役で、刑事コロンボ風の新境地を開き、当たり役となった。

俳優は白いキャンバスであるべきとの考えを持っていた。自分から役を決めるのではなく、オファーを受けてそれを演じている。そのため、実に幅広い役柄を演じることになった珍しい俳優だ。しかも撮影、出演では、NGはなかったという完璧主義の仕事ぶりだった。

そのため、私生活は秘密主義を守っている。生活感を見せるないことにこだわり、妻は娘の存在を披露することはなく、俳優仲間とも食事を一緒にせず、トイレの姿も見られないように注意していた、という。

そういえば意外なことに、渥美清も私生活を秘匿し、他者との交わりを避ける孤独な人物だったが、それは「渥美清=寅さん」のイメージを壊さないためであった、という。同じである。

役者として白紙の状態で、どんな役でもプロとして演じようという気概を感じる人だ。日本のアランドロン、二枚目、二枚目半、三枚目、刑事コロンボ風、などさまざまの役をこなした。田村正和は作品のみで勝負するという自身の役者哲学を貫いた人だったことがわかった。


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