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「名言との対話」 6月3日。ヨハネ23世「わたしは小さな荷車を引く、小ロバのようなものです。大きな重いものは運びませんが、いつも働いています」

ヨハネ23世(ラテン語: Ioannes PP. XXIII、英語: John XXIII、1881年11月25日-1963年6月3日)はローマ教皇(在位:1958年10月28日-1963年6月3日)、カトリック教会の司祭。

1958年10月28日、ピオ12世の後を継いで、76歳で教皇に選出され、ヨハネ23世を名乗った。さて、ローマ教皇とは何か。ペテロの後継者を任じていたが、教皇の権威が増すにつれて「イエス・キリストの代理者」呼ばれるようになった。ローマ市内にある世界最小の独立国家バチカンの首長という国家元首たる地位もある。私もバチカンには一度だけ訪れたことがある。ローマ法王とも呼ばれるが、正式にはローマ教皇が正しい。

ヨハネ23世は76歳で教皇となり中継ぎと思われたが、そうではなかった。カトリック教会の近代化を意図し、誰もが予期しなかった公会議の開催を指示し、1962年10月、第2バチカン公会議の開催にこぎつけた。しかし胃がんい侵されてた教皇は会議の終了を待たずに世を去った。 史上初めて世界五大陸から投票権を持つ参加者 (公会議教父) が集まった。教会の現代化をテーマに多くの議論が行われ、以後の教会の刷新の原動力となった。

神学校時代の14歳から書き始めたヨハネ23世の信仰の記録「魂の日記」は、生涯書き続けられた。その中で、自分を律する言葉を書き連ねている。、、悪友と交わらない。乱暴な言辞をしない。女生と交わらない。禁欲。葡萄酒は飲まない。新しいことや書物に熱中しない。、、、自分を聖化することによて、この世の俗なるものをも聖化しようとする聖人の道を歩くこうとしたのだ。『教皇ヨハネ23世』を読んで、神父とはこのような積み重ねの人なのだということが私にもわかった。

1932年に教皇巡察使から大使としてルーマニアに昇任するといわれていたが、実際には神学校の同級生にさらわれてしまう。この時に、ある神父にあてた手紙の中に、冒頭に掲げたこの「小ロバ」が出てくる。「無視され、無にひとしい者と思われることを愛せよ」と、失望せず、勇敢に困難に立ち向かった。また上長として気をつけることとして、形式主義の陥らないことと、部下との協力関係を築くこととしている。そういった心構えが、いつしか人々の信任を得たのだろう。

「私は自分の蔓から無用の葉っぱをすべて取り去り、誠実、公正、慈悲なるものに集中しなくてはならない」との決心のとおり、4年半の時間しかなった教皇の地位にある間に、公会議の開催と成功という大仕事をやり遂げた。それはキリスト教世界の将来への大きな布石となった。

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