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「名言との対話」9月25日。武田百合子「家内安全商売繁盛、眼がよくなりますように、そしてバチがあたりませんように」

武田 百合子(たけだ ゆりこ、1925年9月25日 - 1993年5月27日)は、日本の随筆家。

神奈川県横浜市生まれ。生家没落のため、行商や秘書など職を転々とする。神田の喫茶店兼酒場「ランボオ」に勤めていたときに作家の武田泰淳と出会い、同棲。1951年に長女を出産したのを機に結婚。

1976年の泰淳の死後に、夫と過ごした富士山荘での日記『富士日記』を52歳で処女出版し田村俊子賞を受賞する。その後、結晶度の高い随筆を発表して多くの熱狂的なファンを得た。竹内好と武田夫妻のソ連旅行記『犬が星見たーーロシア旅行』で読売文学賞の随筆・紀行賞を受賞するなど、希代の文章家として高い評価を得ている。 交流のあった埴谷雄高からは「天衣無縫の芸術者」と評されている。
富士山を望む別荘で13年間つけ続けた13年
富士山を望む別荘で13年間つけ続けた

有名な『富士日記』は手にしたことがある。淡々とした日常を描く透明な筆致だった。今回は『日日雑記』(中公文庫)を読んだ。周辺に起こる事実の本質をみる観察眼は鋭い。体調、健康、気分、機嫌、、、、

映画の試写会も多い。「国会図書館は怖い」。ことごとく注意されるから。「年とるとつまらないねえ。せっせと原稿書いたって、パジャマばっかり買ってるんだ」(大岡昇平)。「体力回復には、お餅とワンタンがいいとわかった。それと、かんぴょうの海苔巻」。「原稿用紙に字を埋めて一枚一枚小説を書くのは、ニセ札を作っているのに似てるからな」そういったグフグフと夫は笑った。「カレーを食べたい気持ちになるとき。カラリと晴れた日。体力のある日。強気の日。反省していない日。気分のいい日。、、、カレーが食べられなくなったときは、もうおしまいだ」。「京都は女がやってきてお金をつかうところだ」。

この本は63歳から66歳までの間、「マリ・クレール」に連載したものを本にしたもので、最後の作品だ。本文中に出てくる「H」は泰淳との間にできた娘の「花」である。

百合子は夫・泰淳の口述筆記を担当したり、車の運転をして取材旅行に同行したり、手となり足となったから、いい影響を受けたと思われるが、実際は逆でニヒリストの武田泰淳は全肯定者の百合子から影響を受けたようである。52歳で「富士日記」を書き、それから67歳で亡くなるまでわずか15年に間に寡作ではあるが珠玉の文章を書きつづった。戒名は「純香院慧誉俊照恭容大姉」という素晴らしいものだった。日記を読んで知った百合子の人柄が表現できている気がする。

この『日日雑記』のはじまりの「正月三ガ日」には、近くの氏神様への初詣で「家内安全商売繁盛、眼がよくなりますように、そしてバチがあたりませんように」と拍子を打つ。ありったけの願い事はそれで全部、というユーモアのある記述から始まる。初詣は、私も「家内安全」と「健康」しか祈ったことはないが、武田百合子をみならって、もう少し願いを頼んでもいいかもしれない。

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