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「名言との対話」 5月8日。中村雨紅「大きな明るい星が出ているだろう。あの下で、子どもが5、6人遊んでいる。なあ、見えるだろう。楽しそうだな。あの中に俺もいるんだよ」

中村雨紅(なかむら うこう、1897年〈明治30年〉1月7日<戸籍上は2月6日> - 1972年〈昭和47年〉5月8日)は、詩人・童謡作家である。

2009年に、八王子恩方にある「夕やけ小やけ ふれあいの里」の中村雨紅展示ホールを訪ねた。中村雨紅は、童謡「夕焼け小焼け」の作詞者である。
東京都多摩郡恩方生まれ。19歳で府立青山師範学校を卒業、21歳で童話を書き始める。24歳で野口雨情宅を訪問し、以後中村雨紅をペンネームとする。26歳で結婚。文化楽社刊「文化楽譜 あたらしい童謡」に「夕焼け小やけ」が掲載されるが、関東大震災で楽譜は灰になるが、わずか13部残った。それが歌われていった。27歳、日大高等師範部入学、29歳で卒業し、厚木高校の教師になる。33歳、春秋社「世界音楽全集」に日本の童謡集に「ねんねのお里」「夕焼け小やけ」が掲載される。以後、高校教師を続けながら、童謡の作詞にまい進する。59歳のときに、生誕地に夕焼け小焼けの碑が建つ。

教師時代に「愚感 そ乃日そ乃日」という日記が残っていた。「頭がよくって 高文や 判検事に なるばかりが 国家へ尽くす 所以でもなければ 亦 格別豪い理(ことわり)でもないのに 近頃官界へ 首をつっこまなければ 人間でない様な 思ひ違いをして居る奴が ひどく殖えたとは 驚かざるを得ぬ  面白い風潮であるが 僕はまだ 宿題になっている」。童謡を生涯のテーマとした中村雨紅の心意気を感じさせる。

お星さん、腹太鼓、ありの兵隊、田舎、十三夜の月、夜道、寒い日などの作品があるが、代表作はやはり「夕焼け 小焼け」だ。「夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘がなる お手手つないで皆帰ろ、、、 子供が帰った後からは まるい大きなお月さま 小鳥が夢を見るころは 空にはきらきら金の星、、、、、」

冒頭に掲げた「あの中に俺もいるんだよ」は、ガンのため死の床についていた雨紅が、足をさすってくれていた夫人に語った臨終の言葉である。この有名な童謡は、中村雨紅自身の子ども時代をうたったものだった。日本中の人々が子ども時代にかならず歌った童謡を作詞したことで、日本人にしみじみとした心情と原風景を思い起こさせているという功績は大きい。ここまで書いてきて大成建設の「地図の残る仕事」というすばらしいCMを思い出した。出世が一番という風潮に批判的だった雨紅の仕事は、日本人の心の中に残る仕事であり、永遠に歌いつづけられるであろう。こういう人生も素晴らしい。

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