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「名言との対話」12月28日。畠山一清「何事も熱意と誠心をもって人に接すれば相手に通じないことはない」

畠山 一清(はたけやま いっせい、1881年明治14年)12月28日 - 1971年昭和46年)11月17日)は、日本実業家機械工学者。株式会社荏原製作所創立者。享年91。

石川県金沢市出身。東京帝大機械工学科を卒業。1912年の31歳で恩師の井口在屋と共同でゐのくち式機械事務所を創業した。1920年にはポンプ販売の事業を発展させて荏原製作所を設立した。発明家であり、渦巻ポンプ、発電用車、送風機、水中モーターポンプなど数十種の製品を世に送り出した。1946年には勅撰で貴族院議員に選ばれている。50余年の長きにわたり社長を続けた。日本発明協会の会長をつとめ、恩賜発明賞は「畠山一清賞」と呼ばれている。

荏原製作所は、従業員は1万7千人。売上高は5000億円を超える大企業に育っている。業績も好調で、2021年にも過去最高益をたたきだしている。

畠山一清は、即翁の号を持つ数奇者としても有名である。鈍翁など財界人との交流もあった。茶器や能の道具などを収集し、港区に「畠山記念館」を残した。2010年にこの記念館を訪問した。

高輪台にある旧・参議寺島宗則邸は、元々薩摩島津家の所有であった。庭が素晴らしく亀岡十勝といわれており、その詩碑もある。その寺島邸は荏原製作所を創業した畠山一清・即翁の屋敷となった。記念館の一階には、「畠山即翁寿像」という楠材の一木造りの木彫があり、「平櫛田中 刀」との銘があった。
即翁は茶道具を中心とした名品を集めた。千利休作の「茶杓 銘 落曇(おちぐもり)」、信長・秀吉時代に「一国一城に匹敵するとされた唐物方衛茶入 銘 日野」、割高台茶碗(古田織部が所持)、そして黄瀬戸、黒織部、志野茶碗、楽長次郎作の「灰器 銘 大笑」などが目についた。
この庭園には6つの茶室があるが、この日は茶会があるようで、和服姿の女性達がたくさん庭園を歩いていた。

1960年委設立された荏原畠山記念文化財団は、科学技術や教育、文化芸術などの分野の援助を行っている。今日も日本機械学会発明協会などの団体や、石川県の学生などに援助している。

「われわれがこの世の中に生活していくためには自ら大変な消費をする。その消費を償ってなおかつプラスのものを後世に残していかなければならない」。では、畠山一清は、何を残したか。「世界に追いつき、世界を追いこしていこう」という目標をもって、荏原製作所を残した。また、即翁として畠山記念館に代表される文化事業も残している。

その推進力は、与えられた仕事をただこなすのではなく、自ら創意工夫する熱意で取り組み、誠心誠意これをやり遂げる心をもって仕事をすること。そして、何事も熱意と誠心をもって人に接すれば相手に通じないことはない」とする「熱意と誠心」という姿勢だったのである。

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