「名言との対話」7月30日。幸田露伴「福を惜しむ人はけだし福を保つを得ん、能く福を分かつ人はけだし福を致すを得ん、福を植うる人に至っては即ち福を造るのである。植福なる哉、植福なる哉」
幸田 露伴(こうだ ろはん、1867年8月22日(慶応3年7月23日) - 1947年(昭和22年)7月30日)は、日本の小説家。第1回文化勲章受章者。
京都帝国大学文科大学初代学長の狩野亨吉に、東洋史講座の内藤湖南と一緒に国文学講座の講師に請われているが、わずか1年で退官している。また 斎藤茂吉が尊敬していたのは、森鴎外と幸田露伴であり、この二人だけは「先生」と呼んでいたというから、独学で到達した文学者としての力量はやはり群を抜いていたのだろう。
代表作は『五重塔』ということになっているが、『努力論』もいい。 文豪・幸田露伴の厚みのある人生論で、努力論というより日本を代表する幸福論だ。運命。人力。自己革新。努力。修学。資質。四季。疾病。気。こういうキーワードで事細かく生き方を論じた名著であり、首肯するところが多い。
・努力は人生の最大最善なる尊いものである。 ・「努力して努力する」----これは真によいものとは言えない。「努力を忘れて努力する」--これこそが真によいものである。 ・凡庸の人でも最狭の範囲に最高の処を求むるならば、その人はけだし比較的に成功しやすい。
「天地は広大、古今は悠久。内からみると、人の心は一切を容れて余りあるから人ほど大なるものはない。外からみると、大海の一滴、大空の一塵、、、」。こういう世界観の中で露伴は、「幸福三説」を主張する。
惜福。分福。植福、これを三福という。惜福とは、福を使い尽くし取り尽くしてしまわぬをいう。分福とは、自己と同様の幸福を分かち与えることをいう。人の上となり衆を率いる人が分福の工夫をしなければ、大なる福を招くことはできない。植福とは、人世の慶福を増進長育する行為である。
最後に「植福哉、植福哉」と言っているように、幸福三説の中でもっとも大事なのは植福だろう。正しい努力である精進を続ける事で、望ましい未来が創造できるという人生観が基底になっている。露伴の『努力論』の命名の意味はそこにある。将来の福を植える、幸福の種を播いておくこと。自己の福を植え、同時に社会の福を植える。そういう心がけでいきたいものだ。
『努力論』は、文豪・幸田露伴の厚みのある人生論。努力論というより日本を代表する幸福論だ。少し詳しく書こう。
惜福。分福。植福、これを三福という。
惜福とは、福を使い尽くし取り尽くしてしまわぬをいう。個人では家康の工夫。団体では水産業、山林、軍事。
分福とは、自己と同様の幸福を分かち与えることをいう。人の上となり衆を率いる人が分福の工夫をしなければ、大なる福を招くことはできない。分福は秀吉が優れていた。
清盛。ナポレオン。尊氏。福は惜しまざるべからず、福は分かたざるべからず。
植福とは、人世の慶福を増進長育する行為である。自己の福を植え、同時に社会の福を植えることだ。
「福を惜しむ人はけだし福を保つを得ん、能く福を分かつ人はけだし福を致すを得ん、福を植うる人に至っては即ち福を造るのである。植福なる哉、植福なる哉」
・志を立てる。先ず高からんことを欲するのが必要で、さて志し立って後はその固からんことを必要とする。
・凡庸の人でも最狭の範囲に最高の処を求むるならば、その人はけだし比較的に成功しやすい。
・天地は広大、古今は悠久。内からみると、人の心は一切を容れて余りあるから人ほど大なるものはない。外からみると、大海の一滴、大空の一塵、、、。
・春生じ、夏長じ、秋に自ずから後に伝わるの子を遺し、冬自ずから生活の閉止を現す、、
・世間の一切の相は、無定をその本相とし、有変をその本相として居る。
・、、変の中にも不変あり、無定の中にも定がある。
・願わくば張る気を保って日を送り事に従いたいものである。致大致正致公致明の道と我とを一致せしむるのが、即ち浩然の気を養う所以である。
いくつか、エピソードを紹介する。
『佐々木久子の お酒とつきあう法』(鎌倉書房)には、著名人のの酒に関する言葉がでてくる。この本中で、幸田露伴「お酒は心をつぐものである」という言葉が紹介されている。
「自分のこと、過去のことは語らなかった。興味のあることを語った」という観察もある。
「努力して努力する」----これは真によいものとは言えない。「努力を忘れて努力する」--これこそが真によいものである。 これが幸田露伴の『努力論』の結論だろう。
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