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11月25日。國弘正雄「とても橋にはなれなかったが、橋げたの一つぐらいにはなれたのではないかな」

國弘 正雄(くにひろ まさお、1930年8月18日 - 2014年11月25日)は、日本の同時通訳者、翻訳家、文化人類学者、政治家。

英語の同時通訳の草分け的な存在。1969年のアポロ11号の月面着陸を伝えるテレビ中継番組における同時通訳などで有名になった。1965年からNHK教育テレビで「英語会話中級」講師を務めたから、私もよく知っている。1971年からは同じくNHK教育で「トーク・ショー」の司会者として人気を集めた。しかし同時通訳は「口先労働者」ではないかと考えるようになる。三木武夫外相秘書官、文化放送にて「百万人の英語」講師を務め、1978年からは日本テレビの「NNNジャストニュース」のキャスターを、1983年からは「NNNきょうの出来事」のキャスターをそれぞれ務めた。 そして1989年、旧社会党から参議院議員選挙に出馬し当選、1期務めた。

自伝『國弘正雄の軌跡 烈士暮年に、壮心己やまず』を読むと、同時通訳という職業を通じて得た人脈の豊富さに驚かされる。賀川豊彦。木川田一隆。キッシンジャー。トインビー。ラルフ・ネーダー。ファハド。サダト。ケネディ。フォード。マンスフィールド。フルブライト。トフラー。オッペンハイマー。、、。

「同時通訳の神様」「日本のライシャワー」「日本外交のキッシンジャー」「ミスター護憲」などさまざまの名前で呼ばれた。著書は100冊以上ある。エネルギーの塊だった。

父は77歳で他界するのだが、自伝『國弘正雄の軌跡 烈士暮年に、壮心己やまず』は78歳で刊行している。父の年齢を超えて自伝を書くことにしたのであろう。享年84。

新渡戸稲造は、東京帝大の面接試験で「太平洋を架ける橋になりたい。日本の思想を外国に伝え、外国の思想を日本に普及する仲立ちになりたい」と答えた。國弘は中学時代に、このエピソードを知りに感動し、国際人となることを決意する。そしてその志を英語という武器を携えて、新渡戸を師匠として生涯かけて追求した。その総括が「橋」ではなく「橋げたの一つ」という謙虚な言葉になった。この人の八面六臂の活躍を眺めると、若い時代に得た「志」に沿って一貫した人生を送ったのだとの感慨を覚える。


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