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「名言との対話」10月22日。緒方貞子「国の内外を問わず、自分で歩いてみることを、若い世代にすすめます」

緒方 貞子(おがた さだこ、1927年〈昭和2年〉9月16日 - 2019年〈令和元年〉10月22日)は、日本の国際政治学者。

聖心女子大英文科卒。ジョージタウン大学国際関係論修士課程修了。カリフォルニア大学バークレー校博士課程修了。国際基督教大学准教授。上智大学教授、外国語学部長。この間、50歳前の1976年から国連日本代表部公使、外務省参与なども断続的に経験している。

そして1991年64歳から国連難民高等弁務官としてクルド、サラエボ、ルワンダなど長い間世界の難民支援活動に取り組み、その後2002年にはアフガン復興支援国際会議の共同議長、そして日本の国際協力の総本山であるJICA(国際協力機構)の理事長を2003年から2011年まで長く務めた人である。

『緒方貞子という生き方』という本があり読んだが、この人の働く姿には魅力があり、頭が下がる思いをする。国連難民高等弁務官以降の緒方貞子の足跡を追うと、難問と大問題との格闘の歴史であるとの感を深くする。
あらゆる国々の首相や大臣、あらゆる機関のトップ、こういう人たちと毎日会いつづけ、世界の様々の機関や大学での講演を重ね、現地で難民と接していく。国際紛争や内紛で生じた数百万人の難民を保護するために、問題を解決しようと時間と労力と人脈を駆使していく。国連難民高等弁務官事務所の本部はスイスのジュネーブにあり、職員総数は2000人。4分の3は現地で活動している。任務は、保護と救済である。

2002年には小泉純一郎首相に更迭された田中真紀子外相の後任に擬せられたが、本人は断っている。2003年(76歳)から2012年3月末まで緒方貞子がトップをつとめていたJICAは1.2兆円の規模を持つ日本の重要な世界貢献の本拠である。政府開発援助(ODA)の二国間援助の中心的役割を果たしている。2011年の東日本大震災では世界各国から援助の手が差し伸べられたが、それは緒方JICAの果してきた世界への影響の一端を示すものだと思う。緒方貞子理事長在任中にJICAの専門家派遣事前研修に数年間私も講師という形で関与したことに誇りも感じる。

曽祖父は犬養毅、祖父は外相、母は犬養道子や安藤和津の従妹。日銀理事だった夫は、緒方竹虎の三男。竹虎の祖父は緒方洪庵と義兄弟の盟を結びその姓を名乗った。名門の出である。貴種性が宿っているのだろう。

国連難民高等弁務官就任以降の活躍に、世界各国からの感謝が栄典という形で贈られている。以下のように並べてみると、日本の文化功労者や文化勲章の光も色が褪せる感がある。1993年 : イタリア金の鳩平和賞。1994年 : 自由賞(自由主義インターナショナルより)。1995年 : フィラデルフィア自由賞1997年 : マグサイサイ賞平和・国際理解部門。2001年 : 文化功労者。2001年 : インディラ・ガンディー賞。2001年 : ドイツ連邦共和国功労勲章大功労十字章。2001年 : レジオンドヌール勲章コマンドール。2001年 : イタリア共和国功労勲章カバリエーレ大十字。2001年 : スウェーデン北極星勲章コマンデール第1等級章。2001年 : ロシア友好勲章。2002年 : フルブライト賞。2003年 : 文化勲章。2004年 : 東京都名誉都民。2005年 : 世界市民賞。2008年 : オラニエ・ナッソー勲章グラントフィシエ章。2009年 : 第3回後藤新平賞(後藤新平の会主催)。2011年 : 聖マイケル・聖ジョージ勲章デーム・グランド・クロス(GCMG)。2011年 : キルギス共和国ダナケル勲章。2012年 : 地球市民賞(大西洋評議会)。

緒方貞子は「小さな巨人」とも言われている。天命に沿って使命感を持って60代から10年単位で長い時間を問題解決に捧げ、少しづつ前進していく姿は神々しい。以下、「私の仕事--国連難民高等弁務官の十年と平和の構築」(緒方貞子・草思社)から。

中央からの柔軟な調整と、現地における実施機関の対応能力の強化が、問題解決の鍵か。
経済制裁は、弱い人を苦しめる。
日本は、経済大国から人道大国になってほしい。
体系的に理解するというのは、答えを持っているということではなく、何が問題なのか質問ができる、ということではないでしょうか。
湾岸戦争後、国連平和維持協力法を成立させ、国際協調主義的な姿勢を示し、アンゴラ、カンボジア、モザンビーク、ゴラン高原、リワンダ、などに自衛隊を派遣した。その後、90年代の不況によて日本の指導者層は内向きになっていった。
人間は仕事を通して成長していかなければなりません。その鍵となるのは好奇心です。常に問題を求め、積極的に疑問を出していく心と頭が必要なのです。
日本人は意識的に世界各地にある厳しい状況に関心を寄せ、身を置く努力をしなければならないのではないでしょうか。
コンセンサスというのは、自然に形成されるものではなく、強力なリーダーシップで引っ張って初めて、形になるものなのです。

影響を受けた緒方チルドレンは世界中にいて、緒方貞子に学んだ現場主義を実践している。緒方貞子は内向きになっていく日本の指導層にも警鐘を鳴らし、そして若い世代には「国の内外を問わず、自分で歩いてみること」を提唱している。何でもみてやろう、何でもしてやろう。安住をやめて、激動する世界を知ろう。そして広がりをもった国になって、世界から尊敬される日本になって欲しいという願いである。 「緒方貞子という生き方」は強いメッセージとなって生き続けるだろう。

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