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「名言との対話」 8月5日。マリリン・モンロー「お金が欲しいんじゃない。ただ、素晴らしい女になりたいの」

マリリン・モンロー(Marilyn Monroe、1926年6月1日 - 1962年8月5日)は、アメリカ合衆国の女優、モデルである。

カリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。母が精神病を患っていたこともあり、9歳で孤児院へ入り、その後いくつもの養家をたらい回しにされる。16歳で高校を中退して最初の結婚。1946年、映画会社のスクリーン・テストに合格したが、夫は理解を示さずに離婚。27歳で出演した『ナイアガラ』で初主演し、 腰を大きく振って歩くモンロー・ウォークを披露した。『紳士は金髪がお好き』『百万長者と結婚する方法』など主演映画が続々公開され人気女優に駆け上がる。28歳、野球選手のジョー・ディマジオと結婚するが、結婚生活は9ヵ月しか続かなかった。30歳、劇作家のアーサー・ミラーと結婚するが、精神的に不安定な状態が続き、流産も経験し、ミラーとも離婚。1962年、36歳のときに自宅の寝室で死亡しているのが発見される。死因は睡眠薬による自殺説や何者かによる謀殺説などがある。ケネディ大統領と不倫関係にあったことも明らかになる。

井上篤夫『追憶 マリリン・モンロー』(集英社)を読んだ。モンローと関係のあった人々の証言録である。モンローが亡くなった時の検視官のトーマス・野口は日本人だ。全裸で死亡し遺書はなかった。モンローは162㎝、52.1㎏。身体解剖と心理解剖も行い、自殺と判断している。後に他殺説もでてくる。

マリリン・モンローは今でもセクシーな女性の代名詞として、世界中の人々に愛され続けている。以下、モンロー語録から。

自分について:「私は成長するにつれて、自分がほかの子と違うことに気づいたの。私の生活には両親からのキスもうれしい約束もなかったから」「私は呪われた女。そして清らかな女なの。私が最悪の時に上手く扱えないのなら、最高の瞬間にも一緒にはいられないわ」「一人でいると、充電して自分を取り戻せる」

愛について:「男性は女性のことを本みたいに思っている。表紙が目立たなかったら、中身を読もうとさえしないの」「私がこの世で何をおいても求めているものは、愛し愛されること」「私は善人だけど、天使じゃない。罪を犯すけど、悪魔じゃない。私はただ巨大な世界にいる小さな女の子で、愛すことのできる人を探しているの」「もし女性を笑わせることができれば、彼女にどんなことでもしてもらえるわ」

人生について:「友達とはあなたが聞きたいことを言う人で、親友とは真実を言ってくれる人よ」「成功は多くの人を敵に回すわ。そうじゃなければいいのにって思うわ。周囲の人々の目に嫉妬もなく、成功を楽しむことができたらすばらしいのに」「もし全てのルールを守っていたら、どこにもたどり着けていなかったわ」「人生がどんなものかなんてちゃんと生きてみるまで決して分からないのよ」「ハリウッドは、キスには10万円を払ってくれるけど、人間性には1銭も払ってくれないところです」

私の ブログには、モンローは2回登場している。若い男性の都会的ライフスタイルを提示しようとし、性をタブー視していた当時のアメリカでの「セックスは善である」とする性革命を先導したヒュー・ヘフナーは、1953年12月に『PLAYBOY』誌を創刊する。創刊号はマリリン・モンローのヌードというデビューだった。指圧の浪越徳次郎は、1956年に29歳のマリリン・モンローが来日時に胃けいれんで苦しんだときの施術をしている。「世紀の肉体」「ガウンの下には何もつけていない」「白磁の肌」「金色」、、、。7回の機会で、指の法悦を味わったそうだ。

最初の夫のジム・ドアティはアイリッシュの元警察官でノーマン・ジーン時代のモンローが16歳の時に結婚した人だ。彼女は「多くの人に愛されました。だが、孤独のまま亡くなった」。「ノーマン・ジーン、私に素敵な思い出をくれてありがとう」。

2番目の夫のメジャー・リーガーのスーパースターだったジョー・ディマジオは、モンローの葬儀を取り仕切っている。墓のセッティングもそうだ。二人は1954年1月14日に二人は結婚し、2月1日に新婚旅行で日本を訪れた。「世の中には金にかえられないものがある。それは愛の思い出だ」とディマジオは言っている。愛の思い出とはモンローとのことだろう。

3番目の夫の10歳年上のアーサー・ミラーはイタリアンの劇作家で戯曲「セールスマンの死」でピューリッツァー賞を受賞した巨匠。ミラーはマリリンのために脚本を書くなど結婚生活は順風満帆と思われたが、マリリンの精神が次第に不安定になってき、 5年後に離婚した。

モンローは「私は誰も恨んでない。三度結婚して三度とも失敗したけれど、きっと私に悪いところがあるの」と語っている。モンローは個人的な幸せをつかむことはできなかったが、世界中の人びとを幸せな気持ちにさせた「素晴らしい女性」である。

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