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「名言との対話」 7月17日。市川雷蔵「若い間、映画で稼いで、年を取ったら歌舞伎をやろうと思っているんです」

八代目 市川 雷蔵(いちかわ らいぞう、1931年(昭和6年)8月29日 - 1969年(昭和44年)7月17日)は、歌舞伎役者・日本の俳優。

1958年、市川崑は『炎上』(三島由紀夫の小説『金閣寺』が原作)の主役に雷蔵を抜擢した。キネマ旬報主演男優賞、ブルーリボン賞男優主演賞などを受賞し、市川雷蔵はトップスターとなった。市川崑監督によれば、素顔はサラリーマン、銀行員のよう、、、、。めがねをかけた普段の写真を私もみたが、平凡な印象だった。ただ、台詞は全部覚えてくると監督は感心していた。

1963年に始まった『眠狂四郎』シリーズ(柴田錬三郎原作)は、雷蔵の晩年を代表するシリーズとなった。日本映画がもっとも充実した時代のスターであり、溝口健二、衣笠貞之助、市川崑、山本薩夫という名監督と仕事をしている。

1954年から1969年までの15年で、「花の白虎隊」から「関の弥太っぺ」まで約160本の映画に主点している。毎年10本以上という計算だ。時代劇から現代劇までこなした。演じた人物を挙げてみると、平清盛、月形半平太、光源氏、日蓮、弁天小僧、織田信長、山田長政、酒天童子、安珍、机龍之介、沓掛時次郎、釈迦、始皇帝、眠狂四郎、鞍馬天狗、霧隠才蔵、華岡青洲、、。足が弱かったので立ち回りに難があった。同志社大学相撲部へ通い四股を踏むなど様々な鍛錬を行ったがうまくいかなかったそうだ。

『市川雷蔵とその時代』(徳間書店)という大部の書物をひも解くと、同時代の監督、俳優らの回顧談を楽しむことができる。要領がいい。つくり顏ができる。本当の役者。剣舞。天下一品の立ち姿。どんな演出にも応じることができた。、、ともに大映の2枚看板であった勝新太郎は「雷ちゃんは眠狂四郎をやる時にかぎり、鼻の下がちょっと長くなるのね。死相を出すというのかな」と語っている。優れた役者だったことがわかる。

私の子ども時代には、市川雷蔵はスターであり、映画もみているが、いつの間にか名前を聞かなくなった。37歳でガンで早逝していたのだ。死から5年後の1974年には、ファンクラブ「朗雷会」が発足し、現在も活動が続いている。「市川雷蔵映画祭」で主演作品を上映することが夏の恒例行事となっている。

市川雷蔵は「歌舞伎は年を取ってからでないとだめだが、映画は年を取ったらだめ」といい、「若い間、映画で稼いで、年を取ったら歌舞伎をやろうと思っているんです」と語っている。もともとは歌舞伎役者だったこともあり、年をとったら歌舞伎に戻ろうという考えだったのだ。それはかなわなかったが、永遠の美男俳優のまま歴史にその姿を残すことになった。

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