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9月28日。 猪熊功「なにごとも初めが大切です」

猪熊 功(いのくま いさお、1938年2月4日 - 2001年9月28日)は、日本の柔道家。

信じられないことだが、猪熊は小さい頃、病弱だった。転機は富田常雄の長編小説「姿三四郎」だった。三四郎は小柄だが動きがすばやかった。得意技の豪快な「山あらし」で大男を倒していく。その三四郎のようになりたい一心で柔道に励む。猪熊が生まれつきの「負けん気」で励む。高校生になると体も丈夫になり、3年生の時には神奈川県の高校一になる。進学した東京教育大学(現筑波大学)大学では、日本一となる。173Cという小躯でのチャンピオンは史上初であった、そして世界一のタイトルを獲得する。そして1964年の東京オリンピックでは重量級で金メダルをとる。

1965年の世界選手権で東京オリンピック無差別級で神永昭を破ったオランダのヘーシンクとの対戦を熱望したが、ヘーシンクが途中で引退し、対戦はかなわなかった。この大会で無差別級で優勝し、「もう戦う相手はいなくなった」として27歳で引退する。

所属していた警視庁を退職し、東海大学を母体とする東海建設の専務として実務家としても活躍する。その間、監督に佐藤宣践を招き、また山下康裕をスカウトするなど、東海大学柔道部を日本有数の強豪校に育て上げた功労者である。東海大学の松前重義学長に心酔し、国際柔道連盟会長となった松前の会長秘書を8年間秘書をつとめ、段位認定制度、や中国の連盟復帰などに手腕を発揮した。社長となった東海建設の業績不振の責任をとって、社長室で自刃している。

神永と猪熊のライバル関係は話題になり、私もどちらが無差別級に出るのだろうかと気を揉んだことを思い出す。 「柔よく剛を制す」という日本柔道の体現者で国民的ヒーローの猪熊は柔道漫画「YAWARA!」の主人公・柔の祖父「猪熊滋悟郎(じごろう)」のモデルである。

猪熊功は柔道の専門書の出版も積極的に行い、柔道の普及につとめた人物だ。今回、『少年柔道入門』を手にしてみた。その冒頭に猪熊の読者の少年たちに贈る言葉がある。「なにごとも初めが大切です」とあり、柔道の習い始めの基本の練習がよくわかるように、柔道衣、準備体操と整理体操、基本などの項目など「基本編」から始め、写真やイラストで説明し、技術だけでなく精神力や体力づくりも習得できるように工夫している。初めが大切、とくにスポーツはそうだ。ゴルフをしているときに、私もいつもこの言葉を思い出すが、もう遅いだろうなあ。

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