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「名言との対話」4月5日。白川義員「私の仕事はどれも歴史上類を見ない撮影であった」

愛媛県四国中央市出身1957年に 日本大学藝術学部写真学科卒業し、ニッポン放送に入社。1962年移籍したフジテレビを休職し、中日新聞社の特派員として8ヶ月間35ヶ国の撮影取材行い、フリーカメラマンとしての活動を開始。帰国後フジテレビを退社。

2021年、恵比寿ガーデンプレイスの「東京都写真美術館」で白川義員写真展「永遠の日本」をみてきました。前期は「永遠の日本」(11作目写真集)、4月の後期は「天地創造」(12作目)となる。この二つの写真集で生涯のテーマ、ライフワークが完成した。

白川義員は、1962年、27歳から58年間で、2018年の83歳までで計画どおり、『アルプス』『ヒマラヤ』『アメリカ大陸』『聖書の世界』『中国大陸』『神々の原風景』『仏教伝来』『南極大陸』『世界百名山』『世界百名瀑』『永遠の日本』『天地創造』の全12作を完成した。

「地球再発見」「人間性回復へ」の旅を「前人未踏を往く」精神で143ヵ国と南極大陸の踏破した。想像を絶する偉業である。

1981年に全米写真家協会最高写真家賞、1988年に菊池寛賞を受賞。1999年には紫綬褒章を受けている。

「世界百名瀑」の撮影には選ぶ作業に3年かけ188滝を撮影。中国の撮影には4年間かかった。アメリカ大陸は足かけ3年。ヒマラヤは4年間でブータンからアフガニスタンまで5000-6000キロのところを3000キロを足で歩く。21年かけた南極一周を含む3度の南極大陸全域撮影の総費用は18億円。5年かけて日本の景勝地6600地点を撮影。重要写真10万枚の中から選んだ最重要写真2万枚のデジタル化作業は、今も続いている。

前期の「永遠の日本」を今回見たのだが、それぞれの大型写真には「鳥瞰」と「赤変」ということ言葉が添えてあったものが多いことに気がついた。「〇〇鳥瞰」というタイトルの写真が多い人だ。

「我々が住んでいる世界は、知れた栗粒。その栗粒が、鮮烈荘厳で神秘に満ちて、こんなに素晴らしい栗粒ってことを知っている人間が、この世に何人いるんだろう。」

白川には「世界百名山」という写真集がある。選んだ基準は「品性と格調」「独自の風格」「人類の精神史」「信仰」「標高」「有名」などだった。

キリスト教旧約聖書『創世紀』は世界の創造を描いている。その壮大な世界には、ハイドンが音楽で、白川義員が写真で挑戦している。「光と影による聖書画こそ、今日にふさわしい聖書画であり、歴史的に見ても影絵は聖書画に最も適した技法であると信じたからです」と語っている藤城は自らが開発した「影絵」という武器で11年の歳月をかけて完成している。アダムとイブ、カイントアベルノアの方舟バベルの塔など33の作品が那須の美術館におさめられている。

表現者は、「日本」に向かった場合は、最後は「古事記」などに到達し、「世界」に向かった場合は「天地創造」に向かうようだ。

写真家・白川義員は、27歳でライフワークを定め、全12巻の写真集を計画し、不屈の精神で58年後の85歳で完成させている。そしてその2年後に亡くなった。この人のことは、ヒマラヤ撮影(1968-1970年)の頃から知っていたが、これほど見事な生涯は稀有である。

白川義員は「私の仕事はどれも歴史上類を見ない撮影であった」と述懐している。まさ想像を絶する「前人未到の仕事」である。写真集『天地創造』をみていると、神の目を感じる。まさに天地創造というタイトルにふさわしい仕事だ。

「現場に立って撮影する苦労は5パーセント、現場に立つまでの苦労が95%」。日本ほど撮影にに自由な国はない。しかし役人の邪魔と外国の数十倍の費用がかかる、とも述懐している。撮影の苦労5%、準備の苦労95%、そのことは白川の仕事の偉大さを物語っている。これほどの偉業は他に思い浮かばない。

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