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「名言との対話」 10月28日。谷口清超「与えること多き者は、刈りとること多き者だ」

谷口 清超(たにぐち せいちょう、1919年10月23日 - 2008年10月28日)は宗教家。生長の家第2代総裁。

広島市出身。東京大学文学部を卒業。1942年、谷口雅春『生命の實相』にふれて深い信仰体験を得る。やがて生長の家創始者・谷口雅春に師事。1946年、雅春の長女恵美子と結婚。以後、生長の家副総裁として日本全国はもとより海外に教えを宣布する。1985年11月、生長の家総裁の法燈を継承する。

主な著書は『正法眼蔵を読む』上・中・下巻、谷口清超新書文集全10巻。「文書伝道」をモットーとする教団のトップらしく、存命中に229冊の著書を発行している。

「生長の家」は、大本教の専従活動家から離脱した谷口雅春(1893〜1985)が長年にわたる求道・精進の末に、「人間は神の子である」という悟りを得たことから始まる。今回、谷口清超『サラリーマンの精神衛生』という本を読んだ。そこから「生長の家」の教義を探ってみたい。

「人間は罪人である」という暗黒思想に対し、「人間の実相(ほんとの姿)は完全円満な神の子である」という明るい光明思想が基本である。人間は神性そのものであり、人間は神の子である。それは「古事記」に書いてある。神の子は神を求め、理想を描く。そして大生命である神様から与えられた無限の力を引き出すり神の国がやがて顕われる。日本は建国当時の「大和の理想」を実現すべきで、その理想国家建設によって地球上に絶対平和を確立することができる。日本は建国当時の「大和の理想」を実現すべきで、その理想国家建設によって地球上に絶対平和を確立することができる。

光明思想とは、いつもよい事を第一に考える生き方をである。よい事を見る人はますますよい事や素晴らしい事を創り出す。よい事をいつも心に描く人はよい人生をつくる者となる。祈りは必ず叶えられるから、第一のものを第一にしよう。

物質無し、肉体無し。いずれも現象であり、実相ではない。自由な心であればでいっさいのものに仏を見、神を見ることができる。山川草木国土悉皆成仏だ。人間は仏である。世界の宗教の教義の中心は同じで、民族によって周辺部分が違うだけであり、「神・自然・人間は、本来一体である。神道や仏教、キリスト教、天理教、大本等諸宗教はその根本においては一致するという「万教帰一」という思想を主張・布教している。

相手と同じ立場までおりていって自分も泥にまみれながら相手をひっぱりあげる。捨身の愛行によって目前の問題を解決して行くにつれて、魂の飛躍をなしとげることができる。親切、賞賛、生命を人に与えよ。与える心は悦びの源泉である「道」にかなった心をだ。人に与えたものは天の倉にたくわえられるので、必要な時には引き出せる。富と平安と幸福、貯金できるから、日々菩薩行を実行していこうではないかという思想であろう。与えることは天の倉に蓄えることであり、引き出す時には利子もついてきて、健康と幸福と繁栄を手にいれることができる。それは人間関係にもいえる。惜しみなく人を助けていれば、いつか人に助けられることがあるとよくと言われるが、それは生長の家の考え方と同じであり、納得感がある。

今日は谷口清超の本を題材に新しい宗教について考える機会を持つことができた。

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