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「名言との対話」4月20日。ジョアン・ミロ「肉体的にも創作意欲の面でもこれまで以上です。仕事をしたくてたまりません。制作のない人生なんて考えられない(80歳の誕生日)」

ジョアン・ミロカタルーニャ語: Joan Miró i Ferrà [ʒuˈan miˈɾo i fəˈra]、ジュアン・ミロー・イ・ファラー, 1893年4月20日 - 1983年12月25日)は、20世紀スペイン画家

ピカソと並び20世紀を代表するアーチストの一人。ミロは若年の頃から浮世絵や陶芸などの日本の芸術作品に刺激を受けており、生涯で二度来日している。日本への紹介は詩人の滝口修造である。1940年に世界に先駆けてミロについての単行本を刊行している。

2022年3月。渋谷:東急Bunkamuraで「ミロ展-日本を夢見て」をみた。若き日の日本への憧れを象徴する初期作品から代表作、そして日本で初めて展示されたミロ作品を通し、画家と日本との関係に迫る展覧会。約130点の作品と資料でミロを読み解こうとする意欲的な企画展だった。

二度の来日時には、日本民芸館で柳宗悦らとあったり、生け花草月流の創始者・勅使河原風、滝口修造大鵬らと会って、日本理解を深めている。岡倉天心茶の本」のカタルーニャ語版。俳句のアンソロジー。書道全集。埴輪の写真集。古陶磁の本。これらはミロの蔵書にあった。浮世絵、仙厓についても関心を持っていた。

展覧会で購入した「図録」を読み込んで、ミロはスペインのカタルーニャの人だったことに気がついた。ミロは滝口に対して「これからはホアンでなく、カタルーニャ風にジョアンと呼んで欲しい」と念を押している。スペイン人ではなく、カタルーニャ人としてのアイデンティティーを持っていたのである。イギリスのスコットランド、日本の沖縄と並んで、民族紛争の火種があるところだ。

以下、ミロの日本についての発言を年代順に追ってみる。

25歳「1枚の草の葉には、1本の木や、山と同じだけの魅力がある。原始の人々や日本人のほかは、ほとんど誰もが、これほど神聖なことを見過ごしている」

31歳「北斎は、ただ1本の先や1つの点に生気を与えたいと言った。絵画、書道、陶芸といった日本の伝統の豊かさは、実にさらなる表現手法の可能性を提示した」

43歳「私は今、フランス語で私を書いている。いやむしろ、詩文が付随する造形的な構想とともに、私が練り上げた詩的な文章を書いているというべきか。日本や中国の先人たち、偉大なる精神家たちがそうしたように」

47歳「リトグラフのインクと日本の筆で自動ドローイングをすること。私が常々心に留めておかねばならない日本の墨絵のようなドローイングを得ること」

59歳「直接心を打つ日本のあの素晴らしい書画、貴国の芸術の巨匠たちが歌っている素敵な雰囲気に対し私の心からの賛美をお伝えすることをうれしく思います」

68歳「日本の弓道かどうやって勝負に備えるかご存知ですか?まず自分を正しい状態にするために、息を吐いて、吸ってまた吐いて。私も同じです」

73歳「私は1粒の石や一滴の水、一握の土にさえ応えようとする日本人の感性、すなわち取るに足らないようなものに彼らがが注ぐ愛情に感銘を受けている。そうした感性こそ、私が若い頃からフランス語やスペイン語で読んできた日本の詩集や本を通じて感じ取ってきたものである。私の熱狂は、特に「茶の本」によって覚醒されたと言っていい」

77歳「日本の書家たちの仕事に夢中になったし、確実に私の制作方法に影響を与えています。以前にも増してトランス状態で仕事をするようになり、ここ最近はほとんど常にそうなんです。私の絵画はますます身振り的になっていると思います」

そして、80歳の誕生日を迎えたミロは「肉体的にも創作意欲の面でもこれまで以上です。仕事をしたくてたまりません。制作のない人生なんて考えられない」と語っている。それから10年後、90歳で上り坂のうちに生涯を閉じたのである。

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