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10月16日。福沢一郎「俺あシュールレアリストなんかじゃねえよ」

福沢 一郎(ふくざわ いちろう、1898年(明治31年)1月18日 - 1992年(平成4年)10月16日)は、日本の洋画家。
2019年5月に「福沢一郎展ーーこのどうしようもまい世界を笑いとばせ」(東京国立近代美術館)を訪ねた。

戦前はシュールリアリズム(超現代主義)を日本に紹介した。前衛美術運動リーダーであった。戦後は人間群像の大作に挑む。

富岡市出身。仙台の第二高等学校。東大文学部卒。朝倉文夫のもとで彫刻を学ぶ。パリ留学中に絵画に転向。33歳、帰国。38歳、福沢絵画研究所。41歳、美術文化協会を結成。43歳(1941年)、治安維持法で検挙。54歳(1952年)から57歳まで渡欧。ブラジル、メキシコを経由して帰国。55歳、芸術選奨文部大臣賞、「埋葬」が国内大賞。62歳、多摩美大客員教授。66歳、女子美大教授を兼任。74歳、東京駅にステンドグラス「天地創造」。80歳、文化功労者。95歳、文化勲章。94歳、死去。

敗戦群像。黒人の公民権運動。ダンテ『神曲』時獄篇。源信『往生要集』に基づく東洋の地獄。現代の世相を地獄に見立てた連作。ギリシア神話、旧約聖書、魏志倭人伝などの題材を求めた。人間嫌いのヒューマニストであった。人物を裸体として群像的に扱うという方法論を持って、「世相群像」「復興」「敗戦群像」「樹海」、、、などを描いた。

「地獄図は描けても、天界のそれはむずかしい。フィフス・アベニューよりもハーレムに、天衣よりもつづれに、従順よりも反逆に、美は閃光を放つのではないか」。

「現代の世相も地獄じゃないか。往生要集もダンテの『神曲』もそのときの世相の反映だったのだから、広くみて自由勝手に描いた方が、むしろ地獄図としては面白いとおもうのです」。「政治家地獄」、「倭国大いに乱れる」、「倭国内乱」、、。

2019年5月4日の東京新聞では、世田谷区砧にあった福沢一郎の自宅が記念館になっているとの記事が出ていた。長男の妻が現在館長だ。「笑い」をテーマとした企画展を開催中であるとか。出身地の群馬県富岡市にも福沢一郎記念美術館がある。

福沢一郎と言えば「シュールリアリズム」の旗手と皆が思う。世に出た初めの印象はなかなか払拭できない。それが「俺あ、、」という発言になった。題材を歴史と世界に求めて、現代の世相を大作に込めようとした画業であった。記念館と美術館を訪ねてさらに福沢の実相に迫りたい。


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