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「名言との対話」12月21日。森下泰「ケチでがめつくてゲスというのは、ほめてくれるんやな」

森下 泰(もりした たい、1921年12月21日 - 1987年11月14日)は、日本の実業家、政治家。

大阪市出身。森下仁丹創業者森下博の孫。京都帝国大学に進学するも、在学中の1943年3月に祖父の死去に伴い森下仁丹社長に就任。大学を繰り上げ卒業し海軍主計見習尉官に採用されて海軍経理学校に籍を置いた。戦後復員すると東京帝国大学法学部に再入学。口中清涼剤だった「仁丹」から体温計・医薬品・製菓へと業を拡大した。1974年から死去するまで参院議員を3期つとめた。

『どケチで鍛えなおせ』(実業之日本社。1981年刊)を読んだ。大阪の三ケチ大集合ということで、サントリー副社長の鳥井道夫(ケチ井)、大阪マルビルオーナーで大日本どケチ教教祖の吉本晴彦(ケチ本)との捧腹絶倒の鼎談集だ。森下は、ケチ下だ。3人は大阪青年会議所を立ち上げたときの仲間だから、遠慮がない。

どケチ人間誕生の源流、子弟教育への提言、伝統的大阪商人の神髄、世の中への批判と提言を大いに語り合う実に面白い掛け合いだ。まるで常に笑い声のある漫才名人の会だ。

1973年に創立された「大日本どケチ教」の8年後には2800人の会員がいた。御経は「勿体ない、勿体ない、勿体ない」である。「タクシーは先に乗ったら損でっせ」「接待の代わりに現金で5万円おくんなはれ」「お金はためるもんで使うもにゃおまへん」「親や先生には子に「ケチ教育」をする責任がありまっせ」「出ずるを制して守りに徹するのがどケチ商法でっせ」、、、。

森下泰は仁丹創業者の森下博から「男はケチといわれるようになったら一人前」という教育を受けている。ご飯の食べ残しはダメ、こづかい帳つけの習慣をつけさせされた。東京は金を払いたがる見え坊。タクシーは左側か助手席に乗る。、、、

森下泰は当時剣道五段の教士であった。「剣道の道はケチ精神に通ず」というエッセイがこの本に載っている。剣道は50年続けている。一つのものをずっとやってきて大変良かったと述懐している。面をかぶると孤独、孤高になるから、独立心を養う、付和雷同しなくなる。ファイティングスピリットを養う。礼に始まって礼に終わる、のも日本的でいい。

そして面、胴、籠手、垂れなどの剣道具は会社の全従業員から40年前に贈ってもらったものをずっと使っているという。「私はケチに達したといえるかもしれない」というオチが最後についている。さすが、だ。

「ケチ」は、始末のできる、もののあたたかみとか、もったいなさということを知っている人間。「がめつい」は、ひとのやらんことをやる人。「ゲス」は見えをはらんこと。これが3つ重なっているから最強になる。そして森下泰は「理屈に合ったことを実行するのがケチ精神」と言っている。とても同じことはできないが、このケチ精神は見あげたものではある。大日本どケチ教はその後、どうなったのだろうか。

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