6月19日。竹下登 「汗は自分でかきましょう。手柄は人にあげましょう。そしてその場で忘れましょう」

竹下 登(たけした のぼる、1924年(大正13年)2月26日 - 2000年(平成12年)6月19日)は、日本の政治家。

竹下登は、早稲田を出て中学校教員を経て、27歳で島根県議会議員に当選。34歳、自民党から衆議院議員。39歳、通産政務次官。40歳、佐藤内閣の官房副長官。47歳、佐藤内閣の官房長官。50歳、田中内閣の官房長官。55歳、大平内閣の大蔵大臣。58歳、中曽根内閣の大蔵大臣。60歳、創政会会長。62歳、経世会会長、自民党幹事長。63歳、総理大臣。65歳、総辞職。76歳、引退、死去。大勲位菊花大綬章。

竹下の回顧録を読んだことがあるが、竹下には、うなるような語録がない。それが特徴のようだ。「ハーモナイゼーションもガバナビリティの一つだ。」と言う。やはり、筋金入りの調整型で総理まで登りつめた人だ。

自分で汗をかいて人に手柄をあげてすぐに忘れる。これを長い間、実践してきた。それが竹下の流儀だ。なかなかできるものではない。竹下の偉さはそれに徹したことである。

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