見出し画像

「名言との対話」6月26日。望月照彦「宇宙を構想し、身の丈で生きる」

望月 照彦(もちづき てるひこ、1943年8月15日 - 2023年6月26日)は、都市計画家。享年79。

静岡市清水区)出身。日本大学理工学部建築科卒業。日本大学助手や非常勤講師を経て、1989年から多摩大学に奉職。教授、多摩大学総合研究所所長。

研究と人材育成の傍ら都市・地域マネジメント、中心市街地活性化計画等の支援とその実践、産業開発・振興、観光計画・推進やプロデュースを多く手掛ける。鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する「構想博物館」を創設し運営。人間と社会を見据える旅を重ねた。著書は『旅と構想』など多数。

2024年1月20日目白台和敬塾本館(旧細川侯爵邸)で開催中の「望月照彦回顧展ーー構想博物館2024 愛に生きよ 自在に生きよ」を訪問した。

旧細川侯爵邸という和風の大邸宅での回顧展の開催場所といい、たくさんあるそれぞれの部屋の凝った展示といい、望月照彦という天才の生涯と思想が結実した、そして心のこもった、実によく工夫された回顧展だった。

先日も望月先生の親友でもあった谷口正和回顧展にも感銘を受けた。死後すぐの葬儀よりも、少し時間を置いた、相応の規模の回顧展を企画することの方がずっといいと改めて思った。

望月先生は「構想博物館館長」という肩書を持っていた。この博物館は鎌倉の自宅のことだ。「宇宙を構想し、身の丈で生きる」。構想とは「物事を考え、発想し、組み立て、実践し、そのことが人類社会に役だつこと」と定義し、「構想の質(哲学)が、社会やコミュニティの質をきめる」とし、この博物館で「構想を研究・収集し、それらをデータベース化し、情報をオープン化することで、多くのこれから新たに構想を打ち立てようとする人々の活動に寄与」しようとし、「構想を生み出し提案する」役割を果たそうとしていた。

元々は建築家であったのだが、40代半ばから多摩大学経営情報学部教授になり、研究者、教育者、エッセイスト、童話作家、建築家、都市プロデューサーと名乗るように、実に多彩な活動をされた方だ。

私は30歳で入った「知的生産の技術」研究会のスタッフとして、講師としてお呼びするなど何度も謦咳に接したし、横浜でのある講演会ではまだ30代のころに前座をつとめたこともある。仙台の宮城大時代には、東北電力傘下の研究所のコミュニティビジネスの研究会で望月委員長のもとで副委員長を拝命したこともある。また多摩大では同僚ともなり、「現代の志塾」という教育理念の制定から始まる立て直しの構想を立てたときにヒントをもらった。改めて振り返ると、随分と長い間、お世話になったと思う。

以下、望月先生とのご縁の一部。

ーーー

多摩大創立以来のメンバーである望月照彦教授が今年度末で退任される。
25年に亘り多摩大を引っ張ってきた先生のゼミ生たちが、このたび記念誌「脳力知熱発伝所・望月ゼミ--500人の遺伝志情報大全」を発刊した。226ページに及ぶまさに大全である。

この中に望月先生の教育者としての25年が凝縮されていると感動を覚える。20年史の時もそうだったが、区切りごとに総括を続けていくという姿勢には共感と尊敬の念を強くする。
この冊子は多摩大の歴史の一つの凝縮でもある。25年史の正史は編まねばならないだろうが、こういった歴史書の存在が正史に彩りとリアリティをを与えていく。組織のそれぞれの構成員がそれぞれの人生を賭けた歴史を編まねばならない。
以下、多摩大望月ゼミの25周年記念誌へ寄稿したメッセージ。

「現代の志塾」のモデル・望月ゼミには、多摩大OBのリード役を期待します。          経営情報学部長 久恒 啓一
多摩大学は創立20周年を機に、建学の精神の再興を目指して、あらためて教育理念の制定に着手し、「現代の志塾」と定めました。
「志」とは、社会の不条理の解決のために自らの職業や仕事を通じて貢献をすること、「塾」とはゼミ中心の人間的な触れ合いを通じた人格教育、「現代」は寺島実郎学長のいうアジア・ユーラシアダイナミズムを念頭に置いています。
そして経営情報学部は、「産業社会の問題解決の最前線に立つ志人材」の育成を教育目標とし、高校生対象の「私の志」小論文コンテスト、志入試、産業社会論・問題解決学・最前線事例の3つの科目群で成り立つカリキュラム、グローバルビジネス・ビジネスICT・地域ビジネスという出口を意識した3つの履修モデル、多摩を中心とする志企業への就職、といった体系的・総合的な改革を教職員一体となって一歩一歩押し進めつつあるところです。
「現代の志塾」という教育理念については、過去の多摩大の全資料を読み込んだ上で、北矢行男先生の提唱された「現代の私塾」というキーワードを土台に、望月照彦先生から「志塾」に、という貴重なアドバイスをいただき決まったものです。本学創立以来のメンバーである望月先生を始めとする輝かしい多摩大の伝統の上に立って、新しい時代を展望できる教育理念が出来上がったと考えています。
30代初めの頃から、所属する「知的生産の技術」研究会で望月先生の謦咳に接してきた私にとって、野田一夫先生の創った多摩大で、寺島現学長のもと望月先生の仕上げの5年間をご一緒できたこと、そして先生ら先達の志の松明(たいまつ)を高く掲げる責務を負っていることに不思議な縁と使命を感じております。
多摩大に望月ゼミあり、と称されるこのゼミは、「高い志、事業創造力、先進の社会デザイン」をモットーに、創立以来四半世紀にわたって本学の教育をリードしてきた名物ゼミであり、この間500名に及ぶ人物群(本学最高記録でしょう)を世に送り出しているわが大学の貴重な財産です。

ーーーー

2009年に鎌倉の望月照彦先生の構想博物館(極楽塾)を訪問する。NPO法人知的生産の技術研究会の出版プロジェクトの取材で、知研のメンバー数人と一緒。鎌倉駅からタクシーで向かったが、それは素晴らしいお宅で、改めて望月先生が建築家だったことを確認した。少人数でディスカッションできる書棚のある書斎、それに続く六角堂を模した知の現場。六角形なので、机の向きが3面とれる。それぞれ、アナログ、デジタル、クラフトをする机となっている。その窓からは美しい緑がみえる。

音楽ホールにもなっているリビング、2階には映像スクリーン付きの寝室や、茶室、小さなミーティングができる部屋もあり、その部屋からは屋上に出れて、富士山や江ノ島などがみえるという。あちこちに何気なく置いてある家具などもいわれがあり、実に趣味がいいという印象を受ける。絵は藤田嗣治

「構想博物館はどこにあるんですか」という質問に、「頭の中にあります」という答えから始まったインタビュー終了後に、手入れの行き届いたガーデンで美しい奥様が用意してくださったでシャンパンをいただきながら楽しく歓談したが、土地が斜面にあるために大木もすぐ間近に感じることができた。その枝にはリスが巣をつくっていた。

30歳を少し超えた頃、参加していた「知的生産の技術」研究会で若き望月先生の講演を聴いたり、仕事場に押しかけたり、横浜での研修会で前座をつとめたりしたことを思い出す。優れたコンセプトメーカーであり、その発想に驚くことが多かった。宮城大時代には、東北活性化センターがつくったコミュニティビジネス研究会で委員長の望月先生と一緒に新しい分野の勉強をしたこともある。多摩大に移った後は、先生のつくった「現代の志塾」という言葉を、改めて多摩大の志にするということにしたのだが、その過程でいろいろアドバイスをいただいた。

  • 時代に直面していることに関心がある。

  • 知の怪人二十面相

  • 奥尻島(身の丈島)、世田谷(サザエさん研究)

  • 恩師。小林ぶんじ(住宅と一国の歴史)、中村秀一郎(ベンチャーのフィールドワーク)、草柳大蔵(もの書き修行)、木村尚三郎(風景がメモ帳)

  • 人。島津斉彬。大原幽学。はたの鶴吉。

  • 世直し。

  • アナロジー思考法。アナロジー型トレーニング。コンセントレーション。

  • 人間は考える足である。ミョウバン。内なるグーグル。DNAに聴く。観光リスクマネジメント。情報は集めずばらまく。頭書館。テンポロジー(店舗学)。フィールドアルク。コンパートメント社会。ライフウェアマネジメント。知的生産とはよりよく生きること。情報のフック。文化のダム。宇宙を構想し身の丈で生きる。

30代初めの頃に、今回の企画と同じように知的生産者の書斎を訪ねるプロジェクトを実施し、「私の書斎活用術」という本にまとめて講談社から出したことがある。そのプロジェクトで16人の著名な方々の自宅を訪問したのだが、それは今まででもっとも楽しいプロジェクトだった。そのとき紀田順一郎先生の百合ヶ丘の自宅を訪ねたとき、これこそ理想の書斎だ、と感銘を受けたが、この望月邸にもそのような感じを持った。

帰りにいただいた、せたがや自治政策研究所「都市社会研究」の「地域から世直しを考える(世田谷型地域経営論)−−サザエさんスタイル、身の丈コミュニティ・マネジメントのすすめ」と「多摩ニュータウン研究」の「地域と大学のアライアンスの可能性を探る」という二つの論文を読んだが、大いに触発された。

月照彦には独特の名言が数多くある。「知の怪人二十面相」「人間は考える足である」など、ユニークなものも多い。「知的生産とはよりよく生きること」など励まされるものもある。ここでは、「宇宙を構想し、身の丈で生きる」を採ることにした。鎌倉極楽寺の自宅兼構想博物館で、聴いた言葉である。心の中に大宇宙を持ちながら、日々を過ごした日常を思わせる名言である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?