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5月20日。牧野剛「 曲がったキュウリ」

牧野 剛(まきの つよし、1945年9月24日 - 2016年5月20日)は、日本の評論家、市民運動家。河合塾講師。

名古屋大学文学部国史科では社会主義学生同盟マルクス主義戦線派して活動。職を得た河合塾では、成績の低い学生のためのベーシックコースや大検コースである「コスモ」などの創設を提案し実現させたアイデアマンであった。1984年の大学共通一次試験国語現代文問題と同じ出典の文章を直前の河合塾全統模試で出題、「問題を的中させた」として一躍大学受験界の寵児となっている。

参議院愛知県選挙区再選挙、愛知県知事選挙、名古屋市長選挙などに立候補する際は、立候補者に議論を持ちかけることが目的であると語っていてその通り落選。1988年に予定されていた名古屋オリンピックへの招致反対運動にも参加するなど、政治の誤りを正す運動や政治を行う者への直接的な議論を求めるなど、政治的な興味を持った活動をすることで知られていた。

河合文化教育研究所に作家の小田実、精神医学の木村敏、哲学の廣松渉、フランス18世紀研究の中川久定、東洋史の谷川道雄の4人の学者を同時に主任研究員として招いている。

1996年には、「日・中・韓の大学入試統一試験を社会的・文化的に比較分析する」という東アジア3国の入試を考えるプロジェクトを発案し、3国にわたる衛星シンポジウムを実現させた。広い視野で教育問題や入試問題を考えていた。

80年代に「予備校文化」というものが、それまでの公教育や大学の既成の制度の間隙を縫って世の中 にクローズアップされてきた時、先がけて河合塾で率先して創り上げ、広く予備校文化を文化たらしめようとした。

やりたいことをやり、全力疾走した充実の人生だった。最後の著者は『原点としての恵那の子ども時代』(あるむ、2016年)だった。

河合塾の名物講師であった牧野剛は「曲がったキュウリ」を合い言葉に、弱者の視点に立って権力の腐敗を衝く姿勢は、多くの学生に共感を呼んだ。現在の立憲民主党の辻元清美は教え子である。曲がったキュウリは八百屋などで選別されてしまい、お店に並ばずに処分されてしまうことが多いが、まっすぐなキュウリと比べても味は変わらず、むしろ強いという意味である。それは弱者に向けての励ましの言葉である。牧野剛はまがったキュウリに未来を託そうとしたのだ。

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