「名言との対話」8月8日。長谷川周重「人生は一生挑戦の連続である」

長谷川周重(はせがわ のりしげ、 1907年8月8日 - 1998年1月3日)は、日本実業家

熊本出身。金沢に移る。一中、四修で一高、東京帝大法学部で学ぶ。住友合資に入社、のち住友化学に移る。営手腕をふるい、1965年社長に就任。のち会長。財界活動も積極的で、1974年に、経団連副会長。日経連理事。1981年日米経済協議会代表世話人になる。

長谷川周重「大いなる摂理」(IPEC)を読んだ。

一高で法学者の田中耕太郎からキリスト教カトリックの「信「望」「愛」の教えを学び深く影響を受けて、後に洗礼を受ける。東大では実利の学問である経済ではなく、正義の学問である法律を学ぶ。役人を忌避し、民間の「信用を重んじ、確実を旨とし、浮利に走り軽進しない」「常に国家を念頭に置く」とする住友に入る。

父の友人である西田幾多郎鈴木大拙、そして妻の父でもある安宅弥一が身近にいて薫陶を受けている。西田、大拙、安宅という親友たちに接したことで、大きな影響を受けたことは想像に難くない。

長谷川は事業経営にあたって、「人間とはなにか、人間はいかに生きるべきか、人生で価値あるものはなにか」を考えていた。人の三井、組織の三菱に対して、「結束の住友」の中心で活躍した。

本人が「あとがき」で述懐しているように、明治の終りに生を受け、大正デモクラシー軍国主義大東亜戦争、敗戦。復興、高度成長、オイルショック、経済大国へと時勢の変遷の中に生きた生涯であった。長谷川の世代のアップダウンはやはり凄まじい。

この自伝には書かれていないことがあると感じた。清水一行『小説 財界』を数年前に読んだことがある。1960年に大阪商工会議所会頭のポストをめぐる大商南北戦争と呼ばれた騒動を題材とした小説である。大阪商工会議所の次期会頭最有力候補の死によって風雲急を告げる会頭選。現会頭は、四期にわたる長期政権の間に会議所を私物化していく。五選を狙う現会頭と人事一新を画策する反対派の熾烈な選挙戦が繰り広げられる。権力闘争の実状を迫真の描写で描いた傑作だ。老人の最後の欲「名誉欲」をモチーフに財界トップの座に執着する執念の闘いの表と裏が生々しく描かれている。

この小説の中で東京の財界で活躍し、長期政権に挑む人物のモデルが長谷川周重だ。現会頭を擁護する相手も「住友」の日向方斎だった。結果的には中立的な人物が会頭になるのだが、実は長谷川と日向は住友合資の同期生だった。二人は若い頃から、最後までずっとライバルだったのだ。

このドラマについては、自伝『大いなる摂理』では触れられていない。伝記作家・小島直記の「他伝信ずべからず 自伝信ずべからうず」という厳しい名言を思いだした。

いずれにしても、長谷川周重という人物は「大いなる摂理」に動かされて、「いくつになっても、現状に甘んじることなく、さらなる未来に向かって前進していかなければならないと思う」という信条そのととおりに生きた人である。


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