7月15日。 青木昌彦「人生越境ゲーム」
青木 昌彦(あおき まさひこ、1938年〈昭和13年〉4月1日 - 2015年〈平成27年〉7月15日)は、日本の経済学者。
日本人初のノーベル経済学賞の有力候補であり、国際経済学連合の会長もつとめた経済学者で、日米両国で重要な役割を果たした。
東大文学部、ブント(共産主義者同盟)、経済学部へ転学、全学連、大学院、アメリカミネソタ大学大学院、スタンフォード大学助教授、ハーバード大学助教授、京都大学助教授・教授、スタンフォード大学教授、通産省通産研究所長、アメリカの大学には定年がないのだが、自由な時間が欲しいという理由で、2004年にはスタンフォード大学を退任し一橋大学特任教授として動くこととした。
旺盛な知的好奇心と企業家精神にあふれた人だった。本人によれば、新しい企てへのコミットメント、それなりの達成感か挫折による引きこもり、リセットという繰り返しの人生であった。
『私の履歴書 人生越境』で、沈黙を守ってきた学生時代のことを始めて詳しく書いている。岸訪米阻止運動など「60年安保闘争」のど真ん中で活動していた。姫岡玲治のペンネームで論文も書いている。「玲」はレーニンからとった。人の心を揺さぶる演説をする全学連委員長の唐牛健太郎(かろうじ)とは生涯を通じた交流だ。佐野眞一は安保闘争を引きずり北へ南へとさすらい漁師となった唐牛と、経済学者となった青木は、安保闘争の陰と光をあらわしているとして『唐牛伝』を書いた。青木にインタビューを申し込んだが、そっけなく断られている。
この本ではアメリカ滞在中に、妻を亡くしていることがあっけないほど簡単に記されている。この本には書かれてはいないが、京大助教授時代には、まだ20代の作家の桐島洋子と恋愛関係にあり結婚も考えた仲だったと桐島本人が後に語っている。
青木昌彦は社会の様々な制度や慣習が経済システムに与える影響を多元的に解き明かす「比較制度分析」という新しい分野を開拓した。著書「比較制度分析に向けて」は、国際的に高い評価を受けた。比較制度分析の創始者・青木昌彦は、配置された制度によって多様な姿がありうるという立場から、利害が異なる主体同士の相互関係を分析するゲーム理論などを駆使し、経済システムを比較しその優劣を論じた。
青木昌彦の生涯を眺めると、マルクス主義から近代経済学へ、日本とアメリカを交互に渡り歩く、大学から官庁へ、など一つの場所にとどまらず、先が見えないまま軽々と壁を乗り越え「越境」していくことに驚きを覚える。唐牛は「何者か」になることを拒絶したが、佐野眞一は、青木昌彦は「何者か」になることによって安保闘争の宿題を果たしたという総括をしている。その道程は「転向」ではなく、「越境」なのだろう。