5月20日。伊東正義 「君たち、表紙だけ替えても中身が変わらなければ意味はないよ」

伊東 正義(いとう まさよし、1913年12月15日 - 1994年5月20日)は、日本の政治家。

昭和後期-平成時代の政治家。大正2年12月15日会津生まれ。農林事務次官をへて昭和38年衆議院議員(当選9回,自民党)。大平正芳の盟友で、第2次大平内閣の官房長官となる。外相や党総務会長などを歴任。平成元年リクルート事件で退陣した竹下内閣の後継首班に推されたが、辞退。平成6年5月20日死去。80歳。福島県出身。東京帝大卒。

農林省に入り、3年後中国大陸の興亜院 (華忠連絡部) に出向し、生涯の朋友となる大平正芳と出会う。帰国したが空襲で焼け出され、大平の自宅に寝泊まりする仲になった。

首相になりたくてなれなかった人は多い。しかしなって欲しいと推されならなかった人はこの伊東正義くらいだろう。その時に推挙した人たちに述べたのがこの言葉である。当時は大物が軒並み金銭スキャンダルにまみれて、金にきれいだった伊東に白羽の矢がたったことはよく覚えている。頑固なまでに首班になることを拒否し、すがすがしい思いでこの人のことを思ったことがある。

伊東正義は地位を蹴り、為さざることをもって名を残した人である。勲章も辞退した頑固な会津っぽであった。表紙が変われば中身もそれ相応変わらざるを得ないから受諾せよ、という批判も多かったが、自身の出処進退については批判は覚悟していたという。伊東正義は哲人だった。

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