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「名言との対話」11月28日。「これら民衆の苦闘の遺跡を、遺族、現存者の方々に同行して廻ることを夢みております」

小島喜孝(1916年9月11日〜2003年11月28日)は民衆史家。

東京都の西の三多摩で生まれた。青山師範学校卒業後、小学校教員になる。1948年、GHQによって教職追放を受ける。出版社勤務ののち、北海道に渡り、北見工業校などで教鞭をとる。北海道歴史教育者協議会の副会長。その傍ら、歴史に埋もれた民衆史を掘り起こす運動をすすめた。オホーツク民衆史講座などで活躍した。著書に『谷中から来た人々」のおてもとの「常紋トンネル』『北海道の夜明け』などがある。

今回読んだ 『鎖塚ーー自由民権と囚人労働の記録』は、研究者あるばかりではなく、実践の報告書であり、評価が高い。「鎖塚」とは土まんじゅうの上に鎖がのせられていたことから名づけられた名前である。囚人二人が繋がれた鎖は墓標であろう。明治国家を断罪する、民衆からの北海道開拓史だ。伊藤博文、山縣有朋、そして金子賢太郎ら明治の指導者は内国植民地である北海道に必要な労働力として囚人を使った。金子は安い賃金、過酷な環境で、囚人労働者が斃れることを想定していた。その方針に沿って財界が協力した。一方で囚人の人権を守ろうとしていた人々も出現する。監獄改良の第一人者・原胤昭は自由民権から囚人人権へと進んだ人である。

もう一つは、昭和に入っての朝鮮人・中国人の募集という名の強制連行と徴用を取り上げている。1939年(昭和14年)だけで8万7千人が集団連行され、1万396人が北海道に送られた。戦争末期には強制連行された朝鮮人は72万人に達し、四分の一が北海道に配置された。この年には朝鮮人の暴動が各地で起こっている。彼らの墓はない。

この本の中には、菊池寛平、井上伝蔵、津田三蔵、大井上輝前、原胤昭、片山潜、永岡鶴蔵、坂本直寛らの名前ある。読み進めるとドラマの連続である。

小島喜孝は北見工業高校在勤中の1973年に『鎖塚』のあとがきで、「これら民衆の苦闘の遺跡を、遺族、現存者の方々に同行して廻ることを夢みております。来夏の夏には、歴史の研究者・教育者・愛好家の方々といっしょに、北見地方民衆の歴史遺跡めぐりを、やりたいと思っております」と述べている。

日本政府は戦時中・戦後の強制連行と虐待の資料を償却して証拠書類を湮滅している。これが現在、日韓で問題になっている「徴用工問題」である。小島の迫力あるドキュメントである『鎖塚』は今、改めて読むべき本である。

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