1月28日。石ノ森章太郎 「むりやり手を動かそうとしているうちに不思議とちゃんとアイデアが湧いてくる」

石ノ森 章太郎(いしのもり しょうたろう、1938年〈昭和13年〉1月25日 - 1998年〈平成10年〉1月28日)は、日本の漫画家、特撮作品原作者。

石ノ森章太郎はふるさとの住所である石森をペンネームにしていた。生涯で漫画は900作品以上、映像作品3200話以上というから仕事量は膨大である。脚本家・監督・俳優・音楽家の一人でこなすチャプリンになりたかった石ノ森章太郎は、万能の天才・ダ・ダ・ヴィンチに憧れる。自らを「チャプリン発、ダ・ヴィンチ経由、萬画家行き」と称していた。

漫画家は、感性で描ける時代を経て、量をこなす中から技術が磨かれ質に転化し感性に磨きがかかる。そして体力で大成するというのが、石ノ森章太郎の持論だった。才能の大部分は技術だと言っていたが、晩年には「才能の8割は、体力である。間違いない」というようになった。頭を動かすのは手だった。息子が親父がゆっくりしていたのは元旦だけだったとも述懐している。60歳と随分と早い死である。本日は没した日。

文章では言葉を自由にたくさん使えるが、漫画というメディアは、少ない言葉でエキスを伝えなければならない。だから常に本質に迫るという知識の吸収の仕方をしなければならない。中途半端な理解のままでは恐くて描けないのではないだろうか。図解に似ているところがある。石ノ森章太郎は、同業のさいとうたかおから「絶え間なく本を読んでいる」といわれていた。宇宙、自然、時代物、科学、刑事ものなど、あらゆる分野を描いている。漫画という表現手段を用いて世界を征服しようとしたのではないだろうか。漫画に限らず、ある表現手段を手に入れた者は必ず世界を表現しようとするようだ。

「学習漫画」というジャンルがある。歴史、古典、人物など様々であるが、各界の著名人たちが監修などの名目で力を貸している。学習の入門は漫画でよいのではないか。

この仕事の虫、石ノ森にしても気分の乗らない時があったのだろうが、そういうときでも机に座って手を動かしていた。しだいに心と頭が動いてくるということを知っていた。膨大な知的な仕事をなした人たちは同じようなことをいっているから真実であり、量産の秘訣なのだろう。

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