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「名言との対話」2月12日。田辺茂一「自分にしか歩けない道を自分で探しながらマイペースで歩け」

田辺 茂一(たなべ もいち 本名の読みはしげいち、1905年2月12日 - 1981年12月11日)は、出版事業家、文化人。紀伊國屋書店創業者。

東京生まれ。慶應専門部室。 紀州備長炭を商う「紀伊國屋」の跡取りであったが、書店経営を志し1927年に紀伊國屋書店を創業する。1945年、戦災で新宿の店が消失。1947年、前川国男の設計の店で再開。1964年、紀伊国屋書店本店が前川国男設計で完成。1966年、紀伊国屋演劇賞を創設。

経営が安定した1950年以降は、経営に関与せず、銀座を中心に飲み歩き、華麗な女性遍歴を重ね、「夜の新宿市長」と呼ばれた遊び人である。「僕は経済も経営も分からない。分かろうとも思わない。女性を通じて社会を理解するのがライフワークだ」。

立川談志が58歳で書いた『酔人・田辺茂一伝』(中央公論新社)のkindle版を読んだ。長く付き合ったことがわかる。

田辺は談志の人生の師だった。たまり場となった銀座の泰明小学校の路地の地下の「美弥」で、多くの芸人、文化人など有名人と交流する場を田辺がつくった。

多くの有名人の名前が出てくるが、多すぎるので、石原慎太郎、岡本太郎、芥川比呂志、吉行淳之介らの名前をあげておこう。その店から始まって、六本木、渋谷、赤坂などの「アモール」「順子」「眉」「姫」「深海魚」「檻の中」などのバーの名前が躍っている。

談志は田辺茂一との交流の中で、名言を聞き出している。「人生曇ってていいのだよ」。「物事の本質が判るのは50過ぎてから」。、、、女性遍歴の人を「千人斬り」と俗にいうが、田辺は三千人と言っていたそうだ。田辺茂一自身は、「120歳まで生きるといわれた」と語っていたが、享年は77であった。

冒頭の「自分にしか歩けない道を自分で探しながらマイペースで歩け」が気に入っている。足早に追い抜いてくライバルと無闇に競争せずに、自分の領域をじっくり時間をかけてマイペースで歩いていけばいいんだよ、と田辺茂一は教えてくれる。

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