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「名言との対話」 4月2日。戸田城聖「桜の如く咲き桃の如く実を結ぶ。、、、、あたら散ってたまるか、桃の如く実を結ばずして」

戸田 城聖(とだ じょうせい、1900年〈明治33年〉2月11日 - 1958年〈昭和33年〉4月2日)は、日本の宗教家、教育家、実業家。

少年時代に父が語る古今東西の英雄譚が読書の扉を開いた。「桜の如く咲き桃の如く実を結ぶ。、、、、あたら散ってたまるか、桃の如く実を結ばずして」と決意する。「未だ、余は余の師人を見ず、余の主を見ず。しかして、自己の思想の帰依、未だ意を得ず、、、、」と青年戸田は北海道から上京し、自分の生涯をかけるにたる人生の師と哲学を求め歩く。上京時の所感には「修養 1.勉学せしか 1.父母の幸福を祈りしか 1.世界民族日本民族の我なりと思ひ小なる自己の欲望を抑えしか 1.大度量たりしか 1.時間を空費せざりしか 1.誠なりしか」との文言が並んでいる。そして出会ったのが西町尋常小学校校長の牧口常三郎だった。「君の才能は成功すれば素晴らしく成功し、失敗すれば、大いなる敗残者になるであろう」と予言される。牧口常三郎は49歳、戸田は20歳だった。戸田は牧口に師事する。

戸田は時習学館という塾経営を始める。自分の頭で考え解決法を見つけ出す。子どもたちの探求心、挑戦心を触発する。情熱あふれるふれあい、そして研究工夫された教授法で人気を博した。牧口の教育学の目的は「価値を創造すること」であった。戸田はそれを「創価教育」と名付ける。創価教育学は牧口の「美・利・善」を根本に、人生の価値(幸福)を自ら勝ち取とれる力をつけることを目的とした体系となった。

牧口は個人の幸福を追求する「小善」ではなく、自他ともの最大幸福を目指す「大善」を説いた。治安維持法と不敬罪で逮捕され、独房に入れられた戸田は『日蓮宗聖典』を読み切ろうと決心する。1日1万遍唱えることにした。ある日、「仏とは生命そのものだ」と分かり、180万遍を超えようとした日に、「自分も地湧の菩薩のひとりだ」と悟る。「僕の一生は決まった! この尊い法華経を流布して、生涯を終わるのだ!」。戸田はこの読書に「身読」という言葉を使っている。「人間革命をやるのだ。武力や権力でやる革命ではない。人間革命という無血革命をやるのだ。これが本当の革命なのだ」。創価教育学会は、教育変革からしだいに社会変革を目指す運動へと重点を移していく。宗祖日蓮は蒙古襲来を予言し的中させ、現実の政治にも関わった。その流れを汲んだ創価学会は政党をつくり、楽園を現世に実現しようとしている。

2年間の獄中生活を経て、戸田は「獅子は伴侶を求めず」の決意で、次代を担う一騎当千の後継者群を育てることに腐心した。それが池田大作青年だった。池田大作が戸田に「古の奇しき縁に 仕へしを 人は変われど われは変らじ」という歌を献上。戸田城聖の返歌は「幾度か 戦の庭に 起てる身の 捨てず持つは 君の太刀ぞよ」だ。牧口。戸田、池田の3代の師弟関係は強固だったことがうかがえる。

創価中学・高校の開校後、3年を経て牧口常三郎生誕100周年の1971年に八王子に創価大学が誕生する。牧口の遺言「卒に将たるは易く、将に将たるは難し。その器を持つ人を育てよう」を実現したのである。戸田は、さらに「学会の青年は、将に将たる器にならなければならない」と語っている。

無血革命こそ本当の革命だ、と戸田城聖は語る。方法や手段はいくつもあるだろうが、たゆまぬ前進を続け、自己変革に挑み続けることだ。自己変革を果たそうとする人々の群れが、社会の変革を引っ張っていく。1958年に戸田城聖が没した時、告別式には12万人が焼香した。学会葬の一般焼香には25万人が参列した。その影響力は壮大である。

ふり返ってみると、私は大学時代に戸田城聖の『人間革命』を読んでいる。その時はよくわからなかったが、「人間革命」とは、個人に内在する「仏」という最高の創造的生命を引き出して、自己の宿命の転換と正しい繁栄を目指しながら、たゆまぬ前進を続ける自己変革への挑戦のことである。ビジネスマン時代には信濃町の創価学会本部を上司と訪れたことがある。礼儀正しい職員に感心したが、それ以上に池田大作会長の写真集に見とれたことを思い出す。世界各国の子どもを撮った写真だが、撮った人の愛情あふれる目線を意識させる写真集だった。横浜の山下町を歩いていた折に、偶然「戸田平和記念館」を見つけ戸田城聖という人物の足跡に触れたことがある。外国商館の建物であり、関東大震災以前のものとして唯一現存する歴史的・文化的建築物だ。「青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ。初めから、望みが、小さいようでは、なにもできないで終わる」。最近では創価学会がつくった八王子の東京富士美術館には企画展の度に訪れている。2002年2月29日に「上村松園、上村商松篁、上村淳之 三代展」の初日をみている。

創価学会は三代にわたって人物がでており、今日の隆盛を迎えている。これだけのことをやった人が「凡夫の中の凡夫」を自認していたという。後継者の池田大作は「人間の最大の偉業とは何か、それは、同じ志をもった人間を遺すことです。、、、それが、永遠の流れを開き、大きな社会への広がりをつくっていきます」と語る。これも名言だ。

戸田城聖は、自分の中に仏を発見した。それは「命」だった。命とは古代から連綿と続く生物、人間としての遺伝子ではないか。人間の設計図であるDNAに書き込まれた人類の叡智の声を聞くことではないか。 戸田城聖は、少年時代の志のとおり、桜の如く咲いた、そして、その志は、桃の如く実をんだのである。

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